一本戀愛故事,如何重新打開一個部落──《阿禮戀愛記憶》共譜
這場關於「戀愛」的紀錄行動,最初並不在我們的人社計畫裡。
屏東大學人文創新與社會實踐計畫進入長治百合永久屋園區後,阿禮部落一直是團隊長期合作的場域。最初,我們在阿禮文化健康站「從Sasadra古道談起」的文化課程,希望透過古道、地名、山林知識與遷徙路徑,重新認識阿禮部落的生活歷史。
真正改變課程方向的,卻不是一個預先設定的研究問題,而是古道旁幾段不經意的談話。
上山總是慢的,走一段路,停下來喝水,坐在石頭旁休息,就在這些空檔裡,原本準備好的問題漸漸被放到一旁。有位長輩指著路邊的石頭,笑著說起年輕時曾有人在那裡等待心上人;另一位長輩聽了,接著談起某一條後來不願再走的路。有人取笑,有人補充,也有人沉默了一會兒,才慢慢說出藏在記憶裡的名字。
那些話不是被正式訪問出來的,而是隨著腳下的路,一段一段浮現。
我們原本想從古道了解部落,最後卻發現,真正讓長輩願意長時間談論、彼此補充,甚至爭相說出往事的,是年輕時如何認識異性、如何追求、如何送別,又如何在父母與家族的安排下走入婚姻。
戀愛,就這樣成為另一條通往阿禮的路。
「恋愛」をめぐるこの記録活動は、もともと私たちの人文社会系プロジェクトの計画に含まれていたものではなかった。
国立屏東大学の人文イノベーション・社会実践プロジェクトが長治百合永久屋園区に入ってから、アリ(Adiri)部落はチームが長期的に関わってきたフィールドの一つである。初期には、アリ文化健康ステーションで「Sasadra古道から始めよう」という文化講座を実施し、古道、地名、山林に関する知識、そして移住の経路を手がかりに、アリ部落の暮らしの歴史をもう一度捉え直そうとしていた。
しかし、講座の方向を本当に変えたのは、あらかじめ設定していた研究課題ではなかった。古道のそばで交わされた、何気ないいくつかの会話だった。
山道を登るのは、いつもゆっくりだ。しばらく歩いては立ち止まって水を飲み、石のそばに座って休む。そんな合間に、最初に用意していた質問は少しずつ脇へ置かれていった。ある長老が道端の石を指さし、若い頃、誰かがそこで恋する相手を待っていたと笑いながら話し始める。すると、別の長老がそれを聞いて、後になって二度と歩きたくなくなった道の話を続ける。誰かが冗談を言い、誰かが話を補い、そして誰かはしばらく黙った後、記憶の奥にしまわれていた名前をゆっくりと口にした。
それらの言葉は、正式なインタビューによって引き出されたものではない。足元の道をたどるように、一つ、また一つと浮かび上がってきたものだった。
私たちは当初、古道から部落を理解しようとしていた。ところが最後に気づいたのは、長老たちが長い時間をかけて語り合い、互いに話を補い合い、さらには競うように過去の出来事を語ろうとしたのは、若い頃にどのように異性と出会い、どのように恋をし、どのように別れ、そして両親や家族の決めた縁組によって、どのように結婚生活へ入っていったのかという話だった。
こうして、恋愛はアリへと続く、もう一つの道になった。
從腳下的古道,走進部落的生活世界
阿禮(Adiri)是一個有數百年歷史的魯凱族部落,2009年莫拉克風災後,族人由原鄉遷居到平地的長治百合永久屋園區,這段遷移不只是居住地點的變動,也改變了族人與土地、山林和日常生活之間的關係。
過去,許多知識不必被特別說明,孩子跟著長輩走古道、進田裡、上山採集,自然知道哪裡可以停留、什麼季節做什麼事,也在生活裡逐漸理解家族關係與部落規矩;遷居平地後,原本可以實際操作的知識失去了熟悉的場景。有些規範仍被長輩反覆提醒,年輕世代卻不一定知道它們從何而來。
戀愛與婚姻,正好把這些差異顯露出來。
現在談戀愛,常被理解為兩個人的選擇;然而,從阿禮長輩的故事來看,一段關係從來不只牽涉男女雙方。誰可以追求誰、家族是否同意、彼此的血緣與身分是否合適、男方是否願意幫農、女方應如何回應,背後都有一套長期形成的倫理與秩序。
長輩很少只說「我喜歡誰」。他們談得更多的是父母的決定、長女的責任、兄弟姊妹的排行、貴族和平民的身分、不同家族之間的關係,以及個人的情感如何在這些條件之中被保留、延後或放下。
戀愛因此不只是青春往事。它讓我們看見阿禮族人如何理解家庭、責任與婚姻,也讓原本抽象的社會規範,重新回到具體的人生經驗裡。
足元の古道から、部落の生活世界へ
アリ(Adiri)は、数百年の歴史を持つルカイ族の部落である。2009年のモーラコット台風災害の後、住民は故郷から平地にある長治百合永久屋園区へと移住した。この移住は、単に居住地が変わったというだけではない。人々と土地、山林、そして日々の暮らしとの関係そのものを変える出来事でもあった。
かつては、多くの知識をわざわざ説明する必要はなかった。子どもたちは長老について古道を歩き、畑に入り、山へ採集に出かける中で、どこで休めばよいのか、どの季節に何をすべきなのかを自然に知っていった。そして、日々の暮らしを通して、家族関係や部落の規範も少しずつ理解していった。
しかし、平地へ移住した後、かつては実際の生活の中で実践できた知識が、その馴染み深い場を失っていった。いくつかの規範は今も長老たちによって繰り返し伝えられているが、若い世代にとっては、それがどこから来たものなのか、必ずしも分かるとは限らない。
恋愛と結婚は、まさにこうした違いを浮かび上がらせるものだった。
今日、恋愛はしばしば二人の選択として理解される。しかし、アリの長老たちの語りから見えてきたのは、一つの関係が決して男女二人だけの問題ではなかったということである。誰が誰を追ってよいのか、家族が同意するのか、血縁や身分の上でふさわしい関係なのか、男性が農作業を手伝う意思を持っているのか、女性はどのように応えるべきなのか。その背後には、長い時間をかけて形成された倫理と秩序が存在していた。
長老たちは、単に「私は誰が好きだった」と語ることは少ない。むしろ、両親の決定、長女としての責任、兄弟姉妹の序列、貴族と平民という身分、異なる家族同士の関係、そして個人の感情がそうした条件の中でどのように守られ、先送りされ、あるいは手放されていったのかを語る。
だからこそ、恋愛は単なる青春時代の思い出ではない。それは、アリの人々が家族、責任、結婚をどのように捉えてきたのかを見せてくれる。そして、もともと抽象的だった社会規範を、具体的な人生経験の中へともう一度戻してくれるのである。
文化健康站裡,記憶開始一段接一段
自2024年7月18日至2025年9月25日,我們在前期古道及相關文化課程的基礎上,進行了二十多次以戀愛記憶為核心的分享,課程不是依照固定問卷逐題訪談。我們通常只提出一個方向,例如古道、年輕時的交友方式、婚姻、送別或婚後生活,再讓長輩決定從哪裡說起。
多數長輩習慣使用魯凱族語講述,摩西牧師協助翻譯成華語,其他長輩則在一旁補充,有時提醒某個名字,有時修正年代,也會因為對同一件往事有不同記憶而討論起來。一個人的故事,經常勾起另一個人的回憶;一段原本只說了幾分鐘的往事,也可能在幾次課程後才慢慢補齊。
團隊所做的,是錄音、整理逐字稿、釐清事件先後,再將口語內容改寫成第一人稱故事。這項工作看似只是文字編輯,實際上卻必須不斷提醒自己:不能為了讓故事好看,就補上長輩沒有說過的情節;不能因為某段記憶不完整,便自行推測其中的因果;遇到族語翻譯仍有疑義的地方,也應保留不確定性,而不是急著替它安排一個完整的結局。
我們最初只想留下課程紀錄,後來逐漸累積成二十六位長者的戀愛與婚姻故事,一本《Sangulrialringavane ki sua Adiri──阿禮戀愛記憶》,就是這樣從一次次聊天、錄音、翻譯與改寫中慢慢長出來的。
文化健康ステーションで、記憶が一つ、また一つとつながり始める
2024年7月18日から2025年9月25日まで、私たちは、それまでの古道および関連する文化講座を基盤として、「恋愛の記憶」を中心とした語りの場を20回以上にわたって実施した。
講座は、固定された質問票に沿って一問ずつインタビューする形式ではなかった。私たちが提示するのは、たとえば古道、若い頃の交友関係、結婚、別れ、結婚後の生活など、大まかな一つの方向だけである。そして、どこから語り始めるのかは、長老たち自身に委ねた。
多くの長老はルカイ語で語ることに慣れており、モーゼ牧師が中国語への通訳を担った。ほかの長老たちはそばで話を補い、ときには名前を思い出させ、ときには年代を訂正し、同じ出来事について異なる記憶がある場合には、互いに話し合うこともあった。
一人の物語が、別の人の記憶を呼び起こすことも少なくない。もともとは数分しか語られなかった出来事が、何度か講座を重ねるうちに、少しずつその全体像を取り戻していくこともあった。
チームが行ったのは、録音、逐語録の整理、出来事の前後関係の確認、そして口頭で語られた内容を一人称の物語へと書き直す作業である。一見すると、単なる文章編集のように見える。しかし実際には、私たちは何度も自分自身に言い聞かせなければならなかった。物語を面白くするために、長老が語っていない出来事を付け加えてはいけない。ある記憶が不完全だからといって、その因果関係をこちらで推測してはいけない。族語の翻訳にまだ不確かな部分がある場合も、それを無理に一つの結論へとまとめるのではなく、その不確かさを残すべきである。
私たちは当初、講座の記録を残すことだけを考えていた。ところが少しずつ積み重なった語りは、26人の長老たちの恋愛と結婚の物語となった。『Sangulrialringavane ki sua Adiri――アリ恋愛記憶』という一冊の本は、こうして一度一度の会話、録音、翻訳、そして書き直しの中から、少しずつ形を成していったのである。
當故事被寫下來,青春也重新有了模樣
有些故事一說出口,整間教室都是笑聲。
「把愛玉灑滿山路的mumu」談起年輕時追求現在的太太。為了讓女方父母看見自己的誠意,他跟著兩位長輩上山採愛玉。回程時,每一袋愛玉都超過他能負擔的重量,他想起小時候拖木材下山的方法,便把整袋愛玉放在地上拖著走。沒想到袋子很快磨破,愛玉沿著山路四處滾落,最後還得由女方父母陪他一顆一顆撿回來。這段狼狽的經歷,反而讓長輩看見他的用心,也成了他多年後談起婚姻時最生動的一幕。
「把愛畫進情書的mumu」也曾為了追求女孩,背起一大綑木材。同行的男伴身材魁梧,卻沒有幫忙,他只好一個人勉強把木材背回女方家。走路時雙腳不斷發抖,背後還被木材上的刺扎傷流血,自己卻毫無察覺。那個年代的追求,不是單靠幾句情話,而是要讓女方父母看見一個人的體力、勤勞與恆心。
有些故事說得平靜,聽的人卻會慢慢安靜下來。
「不能先喜歡別人的kayngu」身為家中長女,十三、十四歲便開始在家族安排下認識異性。見面時不能單獨相處,周圍總有長輩與朋友陪伴;即使心裡已經有喜歡的人,也不能表現得太過熟絡。因為長女的婚姻不只關係到她自己,還牽涉底下的弟弟妹妹,以及父母對家族未來的考量。她說,身為女性,尤其是長女,只能順從父母的決定;即使有喜歡的人,也只能放在心裡。這句話沒有激烈的控訴,卻讓我們看見,同一段被後來稱為「傳統」的婚姻安排,在不同位置的人身上,可能有完全不同的重量。
「等到他越過山雨的kayngu」則記得,一次收穫祭期間下著大雨,當時道路難行,她的先生仍騎著摩托車,帶著弟弟一路趕到阿禮。途中車子顛簸,還差一點摔倒,他卻沒有因此折返。多年以後,她最難忘的仍是那場雨,以及那個無論路多遠、天氣多壞,仍然堅持來見她的人。她後來對先生說:「我愛你,永遠愛你,也祝你身體健康、萬事如意。」
在這些故事裡,愛很少以直接告白的方式出現。它可能是一捆木材、一袋愛玉、一段冒雨而來的山路,也可能是明明有喜歡的人,卻依照父母的決定走入另一段婚姻。
*Mumu在魯凱族語意指祖父、外公。
*kayngu在魯凱族語意指祖母、外婆。
物語が書き留められたとき、青春もまた、もう一度その姿を取り戻した
ある物語が語り始められると、教室いっぱいに笑い声が広がることがある。
「愛玉を山道いっぱいにこぼしたmumu」は、若い頃、現在の妻を追いかけた時のことを語った。女性の両親に自分の誠意を見てもらうため、彼は二人の長老とともに山へ愛玉を採りに行った。帰り道、一袋一袋の愛玉は、彼一人では背負えないほど重かった。そこで彼は、幼い頃に木材を山から引きずり下ろした方法を思い出し、袋ごと地面に置いて引きずっていった。ところが、袋はすぐに擦り切れて破れ、愛玉は山道に沿ってあちこちへ転がり落ちてしまった。最後には、女性の両親まで一緒になって、一粒ずつ拾い集めなければならなかった。この散々な経験こそが、長老たちに彼の真剣さを伝えることになり、何年も後に結婚生活を振り返った時にも、最も生き生きとした場面として残っていた。
「愛をラブレターに描いたmumu」もまた、ある女性を追いかけるために、大きな木材の束を背負ったことがある。一緒にいた男性の友人は体格がよかったにもかかわらず手伝ってくれず、彼は一人でどうにか木材を女性の家まで運んだ。歩いている間、両足は何度も震え、背中には木材の棘が刺さって血が流れていた。それでも本人は、そのことに気づいていなかった。あの時代の恋愛は、何気ない愛の言葉だけで成り立つものではなかった。女性の両親に、その人の体力、勤勉さ、そして最後までやり抜く気持ちを見てもらう必要があったのである。
一方で、静かに語られる物語もある。けれど、それを聞く私たちは、少しずつ言葉を失っていく。
「先に誰かを好きになってはいけなかったkayngu」は、家族の長女として、13、14歳頃から家族の取り決めによって異性と知り合うようになった。会う時には二人きりになることは許されず、周囲にはいつも長老や友人がいた。たとえ心の中に好きな人がいたとしても、親密になりすぎているように見せてはいけなかった。なぜなら、長女の結婚は彼女自身だけの問題ではなく、下にいる弟や妹、そして両親が考える家族の将来にも関わるものだったからである。彼女はこう語った。女性として、特に長女として、両親の決定に従うしかなかった。たとえ好きな人がいても、それは心の中にしまっておくしかなかった、と。この言葉には、激しい告発はない。それでも私たちは、後になって「伝統」と呼ばれるようになった同じ婚姻の仕組みが、異なる立場に置かれた人々にとって、まったく異なる重みを持っていたことを知る。
「山越しの雨を越えてきたkayngu」は、ある収穫祭の時期に大雨が降り、道が非常に悪くなっていたにもかかわらず、夫がバイクに弟を乗せ、一路アリまで会いに来てくれた日のことを覚えている。途中、バイクは激しく揺れ、転倒しそうになった。それでも彼は引き返そうとはしなかった。何年も経った今でも、彼女の心に最も強く残っているのは、あの雨と、どれほど道が遠くても、どれほど天気が悪くても、それでも会いに来てくれた一人の男性の姿だった。彼女は後に夫へこう伝えた。「あなたを愛しています。永遠に愛しています。そして、あなたの健康とすべての幸せを願っています。」
これらの物語の中で、愛は直接的な告白として現れることがほとんどない。それは一束の木材かもしれない。一袋の愛玉かもしれない。雨の中を会いに来た一つの山道かもしれない。あるいは、心の中に好きな人がいながら、両親の決定に従い、別の人との結婚生活へと入っていったことかもしれない。
*「mumu」はルカイ語で、祖父・母方の祖父を意味する。
*「kayngu」はルカイ語で、祖母・母方の祖母を意味する。
畫在情書裡的狗,幾十年後才有了答案
「多年後才說出我愛你的kayngu」與「把愛畫進情書的mumu」這對夫妻保留了一種不同的浪漫。兩人都不太善於直接表達情感。年輕時,先生喜歡大自然,便把兩人一起看見的景物畫進信裡。只是他的畫並不容易辨認,收信的人一直不知道紙上畫的究竟是狗?還是山羊?時隔幾十年後,兩人在文化健康站重新談到這件事,謎底才終於揭開。他解釋,若畫的是狗,代表自己像狗一樣忠心;若是山羊,則是吊兒郎當的意思。
原來,那些多年來看不懂的圖畫,也曾是情書的一部分。
「多年後才說出我愛你的kayngu」成長於嚴格的家庭,是家中長女,很早就開始照顧弟弟妹妹;她的先生則來自較為開放的家庭,兩人的生活背景並不相同。婚後,他們也經歷了孩子、孫子與家庭生活帶來的磨合。直到多年以後,她才在眾人面前第一次對先生說出:「老公,我愛你。」先生笑說,這是他從未聽過的一句話。
這一段看似簡單的對話,卻讓我們理解,長輩不是沒有愛,而是他們表達愛的語言與方式,和今天不一樣。有些心意藏在畫裡,有些放進勞動與照顧之中,也有一些話,要走過幾十年的婚姻後,才終於說出口。
ラブレターに描かれた犬が、数十年後にようやく答えを得た
「何年も経ってから初めて『愛している』と言ったkayngu」と「愛をラブレターに描いたmumu」は、また別の形のロマンスを残している。二人とも、自分の感情を直接表現することがあまり得意ではなかった。若い頃、夫は自然が好きだった。そこで、二人で一緒に見た風景を手紙の中に描いた。ところが、その絵は簡単には見分けられないものだった。手紙を受け取った妻は、紙に描かれているのが犬なのか、それとも山羊なのか、ずっと分からなかった。それから数十年が経ち、二人は文化健康ステーションでこの話をもう一度することになった。そして、ついに謎が解けた。夫によれば、犬を描いたのであれば、自分は犬のように忠実だという意味。山羊であれば、ふらふらしていていい加減だという意味だった。
つまり、長年理解できなかったあの絵もまた、一通のラブレターの一部だったのである。
「何年も経ってから初めて『愛している』と言ったkayngu」は、厳格な家庭で育った長女で、幼い頃から弟や妹の面倒を見ることを求められていた。一方、夫は比較的自由な家庭の出身であり、二人の育った環境は大きく異なっていた。結婚後も、子どもや孫、そして家族生活をめぐって、二人はさまざまなすり合わせを経験した。そして何年もの歳月を経て、彼女は初めて皆の前で夫にこう言った。「あなた、愛しているよ。」夫は笑いながら、それは今まで一度も聞いたことのない言葉だったと語った。一見すると、何気ない会話にすぎない。
しかし、このやり取りから私たちは理解することができる。長老たちは愛がなかったのではない。ただ、愛を表現する言葉と方法が、今日とは違っていたのである。ある思いは絵の中に隠され、ある思いは労働や世話の中に込められ、そしてある言葉は、数十年にわたる結婚生活を歩んだ後に、ようやく口にされた。
戀愛裡,有一整套阿禮的生活秩序
隨著故事累積,我們也慢慢辨認出一些反覆出現的文化情境。
男方追求女孩時,通常不會獨自前往,而是由兄弟、朋友或長輩陪同,到女方家唱歌、聊天。隔天一早,還要跟著女方家人到田裡工作,或者在女方與長輩從農地返家途中前去迎接,幫忙背負農作物與木材。
男方必須留意的,往往不只是女孩的表情,更是她父母與家人的態度。因為最終決定婚事的人,通常不是年輕男女,而是雙方長輩。
有些男孩在窗外吹口琴或鼻笛,讓音樂代替難以說出口的心意;有人編花環送給心儀的女孩,女孩則以絲巾回贈;有人前往山林砍取材質良好的九芎木,背到女方家中,以勞動表達誠意。外出工作或當兵前,彼此會在山頭揮手、升起狼煙。煙越旺,據說代表心中的不捨越深;遠方若也升起煙,便知道對方看見了。
女性的行為也受到許多規範。見面時不能與男子單獨相處,衣著必須端莊,不能露出小腿與膝蓋,也不能直視對方。即使心有所屬,也不宜輕易說出「我喜歡你」。在一些故事裡,真正能夠公開表達愛意的時刻,反而是在結婚前向曾經追求過自己、卻無緣結合的人告別。
這些記憶並不全然甜美。它們同時包含家族責任、身分階序、性別規範、信仰差異,以及個人意願與父母決定之間的拉扯。
也因此,《阿禮戀愛記憶》不是一本只談誰追求誰、誰最後和誰結婚的故事書。二十六位長者的生命經驗,讓我們看見愛情如何與家族倫理、婚姻制度、社會階序、宗教信仰、服役、外出工作及遷徙經驗彼此交織。
戀愛是入口,書裡真正留下的,是一代阿禮人的生活。
恋愛の中には、アリの暮らしを支える一つの秩序があった
物語が積み重なるにつれ、私たちは何度も繰り返し登場する、いくつかの文化的な場面を少しずつ見分けられるようになった。
男性が女性を追う時、一人で女性の家へ行くことは通常なかった。兄弟、友人、あるいは長老が付き添い、女性の家を訪ねて歌を歌い、話をした。翌朝早くには、女性の家族とともに畑へ行って農作業を手伝ったり、女性と長老たちが農地から帰ってくる途中に迎えに行き、農作物や木材を背負う手伝いをしたりした。
男性が気を配らなければならなかったのは、女性の表情だけではない。むしろ重要だったのは、彼女の両親や家族がどのような態度を示しているかだった。なぜなら、最終的に結婚を決めるのは、若い男女ではなく、双方の長老たちであることが多かったからである。
窓の外でハーモニカや鼻笛を吹き、言葉にすることのできない思いを音楽に託す少年もいた。好きな女性のために花輪を編んで贈り、女性はスカーフを返礼することもあった。山へ入り、良質な九芎の木を切り出して女性の家まで背負い、労働によって誠意を示す者もいた。外へ働きに出る時や兵役に赴く時には、互いに山の上から手を振り、狼煙を上げた。煙が濃く立ち上るほど、心の中の別れを惜しむ気持ちが深いのだという。遠くからも煙が上がれば、それによって相手が自分を見送っていることを知ることができた。
女性の行動にも多くの規範があった。男性と二人きりになることはできず、服装は慎ましく整えなければならない。ふくらはぎや膝を見せることも、相手をまっすぐ見つめることも避けなければならなかった。たとえ心に好きな人がいたとしても、簡単に「あなたが好き」と口にすることは望ましくなかった。いくつかの物語では、愛情を公に伝えることができる本当の瞬間は、結婚前に、かつて自分を追ってくれたものの結ばれることのなかった相手へ別れを告げる時だった。
これらの記憶は、決してすべてが甘美なものではない。そこには同時に、家族としての責任、身分の序列、ジェンダー規範、信仰の違い、そして自分自身の意思と両親の決定との間で揺れ動く思いが含まれている。
だからこそ、『アリ恋愛記憶』は、誰が誰を追い、最後に誰と結婚したのかだけを語る物語集ではない。26人の長老たちの人生経験を通して見えてくるのは、恋愛が家族倫理、婚姻制度、社会的階層、宗教的信仰、兵役、出稼ぎ、そして移住の経験と、どのように絡み合っていたのかということである。
恋愛は入口であり、本の中に本当に残されたものは、一世代のアリの人々の暮らしそのものなのである。
從二十六篇故事,畫出十二個文化記憶
完成長者故事後,我們又從二十六篇內容中整理出十二個反覆出現、具有文化意涵的戀愛記憶,包括拜訪、幫農、花環與絲巾、情柴、狼煙、石縫裡的牽掛、交換照片、婚前圍舞、哭別與迎娶等,再邀請阿禮青年依照故事繪製圖像,製作成「2026年阿禮戀愛記憶月曆」。
我們希望,故事不只被收進書裡,也能走進族人的生活。月曆掛在家中,每翻過一頁,便重新看見一段長輩曾經走過的路。青年不是被動接收文化,而是在閱讀故事、理解情境、反覆修改畫面的過程中,參與了文化記憶的轉譯。
這本書與月曆,也在2025年12月舉辦的「當愛情來的時候」成果展開幕式,贈送給與會的貴賓,展場裡還有十二幅青年手繪作品、族人提供的老照片,以及文化健康站長者們的創作。
開幕式當天,真正熱鬧的地方不只在舞台上。
族人站在老照片前,指著照片裡的人互相確認,有人說那是自己的哥哥,有人立刻糾正;有人談起當年誰追求過誰,也有人看到舊照片後,才想起故事裡原本漏掉的名字。貴賓們也分享自己的戀愛故事,唱完古謠之後仍意猶未盡,又接著唱起情歌與報戰功。
原本掛在牆上的照片和文字,在族人的交談中重新有了聲音。
26の物語から、12の文化的記憶を描き出す
長老たちの物語を完成させた後、私たちは26の物語の中から、繰り返し登場し、文化的な意味を持つ12の恋愛の記憶を整理した。そこには、訪問、農作業の手伝い、花輪とスカーフ、恋の薪、狼煙、石の隙間に託された想い、写真の交換、結婚前の輪舞、別れの涙、そして嫁入りなどが含まれている。そして、アリの若者たちに物語をもとに絵を描いてもらい、「2026年 アリ恋愛記憶カレンダー」を制作した。
私たちが願ったのは、物語が本の中に収められるだけではなく、族人たちの日常へと入っていくことだった。カレンダーを家に掛け、一枚一枚ページをめくるたびに、長老たちがかつて歩いた道をもう一度思い出す。若者たちは、文化を受け身で受け取ったのではない。物語を読み、そこに描かれた状況を理解し、何度も絵を描き直す過程そのものを通して、文化的記憶の翻訳に参加したのである。
この本とカレンダーは、2025年12月に開催された成果展「愛が訪れたとき」の開幕式で、来場した来賓にも贈呈された。会場には、若者たちが描いた12点の作品、族人から提供された古い写真、そして文化健康ステーションの長老たちによる創作作品も展示された。
開幕式当日、本当に賑やかだった場所は、舞台の上だけではなかった。
族人たちは古い写真の前に立ち、写真に写る人物を指差しながら互いに確認し合っていた。ある人が「これは自分の兄だ」と言えば、すぐに別の人が訂正する。誰が誰を追いかけていたのかを語る人もいれば、古い写真を見たことで、物語の中から抜け落ちていた名前を初めて思い出す人もいた。来賓たちも自分自身の恋愛の物語を語り、古謡を歌い終えた後もまだ物足りず、続けて恋愛の歌や「報戦功」を歌った。
もともと壁に掛けられていた写真と文字は、族人たちの会話の中で、もう一度声を持つようになったのである。
書寫一段戀愛故事,也要面對田野的分寸
這項工作帶給團隊的,不只是成果,也包括許多必須反覆思考的問題。
戀愛與婚姻涉及私密情感,也牽涉仍然在世的家人、過去的追求者與家族關係。長輩願意在文化健康站裡分享,不代表所有內容都適合公開;課程裡的一句玩笑,放進書中後,也可能產生不同的重量。
整理逐字稿時,我們必須判斷哪些內容只是現場的插話,哪些是長輩真正想留下的記憶;哪些名字可以呈現,哪些細節需要保留分寸。更重要的是,改寫不能以「故事好不好看」為標準。當資料不足,我們寧可讓故事留下空白,也不能替長輩補上一個看似合理、卻從未發生的情節。
這也讓我重新理解大學進入部落的角色。
我們當然進行紀錄與整理,但不能只在完成資料後離開。逐字稿如何被改寫、故事會被放在哪裡、書與照片將如何使用,都必須回到部落說明。大學能做的,不是替長輩決定什麼是文化,而是提供時間、人力與方法,協助那些原本散落在個人記憶裡的經驗,被整理、保存,也重新回到族人的生活之中。
一つの恋愛物語を書くということは、フィールドワークにおける「距離」を考えることでもある
この活動がチームにもたらしたのは、成果だけではない。私たちは、何度も考え直さなければならない多くの問いにも向き合うことになった。
恋愛と結婚は私的な感情に関わるだけでなく、今も生きている家族、かつての恋人、そして家族同士の関係にも関わっている。長老たちが文化健康ステーションで話してくれたからといって、そのすべてが公開に適しているとは限らない。講座の中で交わされた一つの冗談も、本の中に置かれた瞬間、まったく異なる重みを持つことがある。
逐語録を整理する際、私たちは、どの内容がその場で交わされた単なる挿話であり、どの内容が長老自身が本当に残したい記憶なのかを判断しなければならなかった。どの名前を出してよいのか。どの細部については慎重に扱う必要があるのか。そして何よりも、書き直しの基準を「物語として面白いかどうか」にしてはいけない。資料が不足している時には、私たちはあえて物語に空白を残す。もっともらしいけれど、実際には起こっていない出来事を、長老たちに代わって補ってはいけないのである。
この経験を通して、私は大学が部落に入るということの意味を、もう一度考えるようになった。
もちろん、私たちは記録し、整理する。しかし、資料を完成させたら、そのまま離れてよいわけではない。逐語録をどのように書き直すのか。物語をどこに置くのか。本や写真をどのように使用するのか。その一つ一つを、部落へ戻して説明しなければならない。大学ができるのは、長老たちに代わって「何が文化なのか」を決めることではない。時間、人手、そして方法を提供し、もともと一人ひとりの記憶の中に散らばっていた経験が、整理され、保存され、そしてもう一度族人たちの暮らしの中へ戻っていくことを支えることなのである。
一本書完成後,故事才真正開始流動
《阿禮戀愛記憶》目前是一冊由屏大人社計畫團隊與阿禮文化健康站共同完成的成果專書,未來也將朝正式出版的方向努力。對我們而言,它並不是一份已經封存的成果。
書完成後,仍有長輩陸續補充原本沒有說完的內容;有些家人第一次知道父母年輕時曾經歷過什麼,也開始詢問家族過去的婚姻與生活。青年透過繪製月曆圖像,必須理解為什麼過去的人不能直視心儀的對象,為什麼追求一個女孩要先到她家幫農,為什麼告別時要在山頭升起狼煙。
這些問題,讓戀愛記憶不再只屬於長者,也成為不同世代可以共同談論的話題。
一年多以前,我們只是想陪長輩談談Sasadra古道;一年多後,古道帶著我們走進二十六位長者的青春,也留下了一本《阿禮戀愛記憶》。
這本書沒有轟轟烈烈的愛情。它記錄的是一捆背得雙腳發抖的木材、一袋灑落山路的愛玉、一場仍堅持赴約的大雨,以及一幅直到幾十年後才被解開的狗或山羊。
這些看似細小的往事,讓我們讀見阿禮族人如何相愛,也讀見他們如何成家、承擔責任,如何在家族規範與個人情感之間走過自己的一生。
《阿禮戀愛記憶》留下的,不只是二十六段愛情,而是二十六位長者願意把青春重新說給下一代聽的生命經驗。大學所參與的,也不是替部落寫下故事,而是陪著這些故事被說出來、被整理,再重新回到部落。
一冊の本が完成した後、物語は本当の意味で動き始める
『アリ恋愛記憶』は現在、国立屏東大学の人文社会系プロジェクトチームとアリ文化健康ステーションが共同で完成させた成果書籍であり、今後は正式な出版に向けて取り組んでいく予定である。私たちにとって、これはすでに封印された成果ではない。
本が完成した後も、長老たちは次々と、以前は語り切れなかった内容を補足してくれている。家族の中には、両親が若い頃にどのような経験をしていたのかを初めて知り、家族の過去の結婚や暮らしについて尋ね始めた人もいる。若者たちは、カレンダーの絵を描く過程で、なぜ昔の人々は好きな相手をまっすぐ見てはいけなかったのか、なぜ女性を追うためにはまずその家へ行って農作業を手伝わなければならなかったのか、なぜ別れの時に山の上で狼煙を上げたのかを理解しなければならなかった。
こうした問いによって、恋愛の記憶はもはや長老だけのものではなくなった。それは、異なる世代が一緒に語り合うことのできるテーマになったのである。
一年以上前、私たちはただ長老たちとSasadra古道について話してみようと思っていた。一年余りが経った今、古道は私たちを26人の長老たちの青春へと連れていき、そして一冊の『アリ恋愛記憶』を残してくれた。
この本に、劇的で波乱に満ちた恋愛は出てこない。そこに記録されているのは、両足が震えるほど重かった一束の木材、山道にこぼれ落ちた一袋の愛玉、どれほどの雨でも会いに行くことを諦めなかった一人の男性、そして数十年後になってようやく答えが明らかになった、犬なのか山羊なのか分からなかった一枚の絵である。
一見すると小さな出来事に過ぎないこうした記憶から、私たちは、アリの人々がどのように愛し合ってきたのかを読むことができる。そして同時に、どのように家族を築き、責任を引き受け、家族の規範と個人の感情との間を歩みながら、それぞれの人生を生きてきたのかを知ることができる。
『アリ恋愛記憶』に残されたのは、26の恋愛だけではない。それは、26人の長老たちが、自分たちの青春をもう一度、次の世代へ語り聞かせることを選んだ、その人生経験そのものなのである。大学がそこに関わったのも、部落に代わって物語を書くためではない。これらの物語が語られ、整理され、そしてもう一度部落へ戻っていく、その過程に寄り添うためだったのである。