臺灣

如何「不只是經濟」?回應山崎亮所談的地方創生

いかに「経済だけではない」ようにできるか? 山崎亮氏の語る地方創生への応答
專題文章 ( 特集記事 )
學校(学校) | 國立臺灣大學、暨南國際大學 作者(著者) | 陳東升(臺灣大學社會系特聘教授)、劉明浩(暨南國際大學地方創生與跨域治理碩士學位學程副教授)
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2025年2月,暨南國際大學地方創生與跨域治理碩士學位學程師生至日本展開見學行程,並與株式會社A0集團、E-DESIGN等地方創生工作者交流,在吸收其他團隊經驗的同時,也再度連結臺灣與日本實踐者間的情誼。本篇文章即為劉明浩老師於此交流活動時,受「studio-L」創立者山崎亮先生的演說啟發後,將思考帶回臺灣,與陳東升老師一起激盪出的回應。

2025年2月、暨南国際大学地方創生と総合的ガバナンス修士課程の教員・学生は、日本で実地見学を行い、株式会社A0グループ・E-DESIGNなどの地方創生の関係者と交流しました。海外の関係者同士の経験について学ぶと共に、台湾と日本の関係者間の繫がりができるようになりました。この記事は、交流会で「studio-L」創設者の山崎亮氏の講演に刺激を受けた劉明浩氏が、その考えを台湾に持ち帰り、陳東昇氏と議論を重ねる中で生まれた応答です。

山崎亮老師介紹日本的地方創生案例時,運用兩種工作模式理論進行差異比較,同時表達他對於「日本近年的地方創生越來越偏向經濟發展,忽略了公共生活的重要性」現況的擔憂。

山崎亮對日本地方創生案例的觀察,也適用在臺灣部分場域。有些宣稱「成功」的地方創生案例,是以青年創業為地方帶來的金流效益,以及促進地方經濟活化,作為評斷依據的成功;尤其,賺大錢的一些案例背後,通常都會有對偏鄉充滿熱情的青年實業家,站在經濟成長的角度暢談展情懷。若從社會經濟的觀點來看,這類型的成就會被給予相當程度的批判——標榜地方特色的商品,實際上卻因不斷迎合都市人的消費品味,逐漸失去地方文化的主體性。對社會經濟的認同者來說,返鄉青年第一要務不是賺錢,搶救要死不活的地方公共性才是正途。然而,新管理主義的支持者亦可對於不賺錢的地方創生案例,提出尖銳的嘲諷:「返鄉青年在鄉下貸款成立的精品咖啡店,多久後會倒閉?以地方DNA為訴求的商品文案,也越來越難在網路募資平臺募到第一桶金。」雖然社會經濟與新管理主義看似對立,但地方創生的公共性和經濟發展,真的可以簡化成為兩相對立的命題嗎?

山崎亮氏は、日本における地方創生の事例を紹介する中で、仕事モデル理論を二種類用いてその差異を比較しつつ、「近年の日本の地方創生は経済発展に偏り、公共生活の重要性が軽視されている」との懸念を示しました。

山崎氏による日本の地方創生事例への観察は、台湾の一部の地域にも当てはまります。「成功」と称される地方創生事例の中には、若者の起業が地域にもたらす経済的利益や、地域経済の活性化を成功の判断基準とするものがあります。特に、大成功を収めた事例の背景には、しばしば地方への情熱に溢れた若手実業家がおり、経済成長の観点から地域への思いを熱く語ることがあります。社会経済的観点から見れば、このような成功は相当な批判にさらされます。地域の特色を掲げる商品が、都市の消費者の好みに合わせ続けるうちに、徐々に地方文化の主体性を失ってしまっているからです。社会経済を重視する者にとって、地元に戻った若者の要務は金儲けではなく、地域の消えかけている公共性を救うことこそが正しい道です。しかし、新管理主義の支持者は、「地元に戻った若者が田舎で借金をして開いたおしゃれカフェは、いずれ潰れるだろう? 地域文化のDNAをテーマとする商品は、クラウドファンディングで最初の資金を集めるのがますます難しくなっているのでは?」と儲からない地方創生事例を厳しく嘲りました。こうして、社会経済と新管理主義は対立しているように見えますが、地方創生の公共性と経済発展は、はたしてこのように捉えられるのでしょうか?

相互交織的經濟行為與公共生活

分析演講內容,並給予回應,這是做為忠貞聽眾能做的事。

首先、山崎亮舉出的兩個不太相容的地方創生工作模式,有利於說明「經濟性/公共性」兩種模式的差異。但過度簡化的比較,容易讓聽者們對於地方創生在認識論上產生二元對立:非黑即白、既然選擇A就要放棄B;容易忽略了其它向度的思考,忽視日本各地案例中蘊含的多樣性與不同主張。

其次、山崎亮於演講中提出的理論模型,傾向於將居民集體改變生活、經濟成長等現象視為地方創生的成果。卻忽略了地方創生工作的長期過程中,交織協作的參與者眾多;往往經歷了地域內行動者們組織社會網絡並保持動態協商。即使是在共識下推行發展期程,各種行動者也各有其側重的目標;彼此的目標之間不見得充滿對立和衝突,而是展現非常複雜的樣態。地方創生案例的工作模式,不能直接分割成人的經濟行為和公共生活兩部分。

第三、經濟議題是重要的;公共生活議題也是重要的。一方面,經濟和公共性都是概括式的統稱,山崎亮在兩個比較模型中所稱的經濟,是資本主義取向的經濟,而公共生活則是共同體(community)取向的審議式民主。另一方面,比較理論的模型架構不能只評斷某件事物的缺陷或好處,而是需要綜融思考,例如:達成地方活化的新平衡需要些什麼、哪些新的社會實踐是有用的、哪些觀點有異於過往帶有理論創新、地方社會現階段發展如何因應困難進行改變。比較理論的重點在於指出什麼樣才是地方創生的「新經濟」、什麼樣才是地方創生的「公共性重建」,以及如何相互為用;而非只高舉其中一方的大旗、放棄在論述中不被肯定的那一方。

我們這三年走訪日本,在不同的場域實地見學(実地見学,じっちけんがく),觀摩多元且非常開放的地方創生案例。最讓人印象深刻的是,大部份參訪見學過的單位和對象,不只是企業社長、地方設計師、甚至是基層的實務工作者都能完整地闡釋核心理念、操作方法、以及清楚地說明其追求的社會價值。「有各自特色的多樣性」和「建立核心的社會價值」是臺灣地方創生案例相較於日本,比較少能被整個工作團隊、或是補助單位、審查單位所重視;在臺灣,推動者對於自身推展的地方創生工作有些時候缺乏深刻且讓人易懂的論述。

另外,在提出的問題:「政府在這兩個比較模型中的角色和功能是什麼?」山崎亮的觀察顯然是把政府公務人員的位置,放在跟地方居民生活實際需求有距離的另一側。我們很難忘懷磐城市猪狩僚先生作為一名基層公務人員親自拜訪地方長輩,並發展出《igoku》雜誌推廣「善終(good death)」觀念與行動的案例(參考圖1,左方為猪狩僚先生);還有,出水市役所投入大量公共經費,營造全市成為適合白頭鶴與白枕鶴的渡冬地環境(參考圖2)。由市役所出面整合民泊、觀光、商工、教育,共同把鶴鳥保育當成地方發展的願景,兼顧環境保全和地方創生的案例,被我們當作永續濕地的典範。忽略了日本各級政府在地方創生工作裡角色和位置的多元樣貌,就意謂著山崎亮的比較分析的理論框架是有所侷限。

絡み合う経済活動と公共生活

講師への感謝を込めて、参加者として講演内容を分析してそれにフィードバックしたいと思います。

まず、山崎氏が提示した二つの地方創生モデルは、「経済性」と「公共性」という異なる側面を説明する上で参考になります。しかし、過度に単純化された比較は、参加者に地方創生を二元論的に捉えさせがちです。すなわち、「白か黒か」「Aを選べばBを諦めるしかない」といった考え方です。このような捉え方では、他の視点からの検討が見落とされやすく、日本各地の事例に内在する多様性や異なる主張を見逃す可能性があります。

次に、山崎氏の講演で提示された理論モデルは、住民が集団的に生活を変化させたり、経済成長を遂げたりする現象を、地方創生の成果として評価する傾向があります。しかし、地方創生は長期的なプロセスであり、協働に関わる参加者は非常に多様です。地域内の行為者は社会ネットワークを構築し、動的な交渉を繰り返すことがしばしば見られます。たとえ共通の合意に基づいて発展計画が推進されたとしても、各行為者はそれぞれ重点を置く目標を持っており、これらの目標が必ずしも衝突するわけではありません。むしろ、多様な目的が絡み合い、非常に複雑な様相を呈するのです。したがって、地方創生の事例における仕事モデルを、人間の経済活動と公共生活の二つに単純に分けることはできません。

第三に、経済的課題は重要ですが、公共生活の課題も同様に重要です。経済と公共性はいずれも包括的な概念ですが、山崎氏が二つの比較モデルで言及している「経済」は主に資本主義的経済を指しています。それに対して「公共生活」は、共同体(community)を重視する審議型民主主義の観点です。一方で、比較理論のモデル構造においては、単にある物事の利点や欠点を評価するだけでは不十分で、以下のような多面的な考察が必要です。たとえば、地域活性化という新しいバランスを達成するために何が必要か、どのような新しい社会実践が有効か、従来の理論とは異なる見解にはどのような理論的革新性があるか、そして地域社会は現段階の困難にどのように対応して変化していくか、などです。比較理論の本質的な目的は、地方創生における「新しい経済」とは何か、「公共性の再構築」とは何か、そしてそれらをいかに融合し活用できるかを明らかにすることにあります。したがって、論説で一方の側面だけを認め、もう一方を諦めるというような単純な二者択一ではありません。

私たち一行は、この3年間で日本を訪れ、多様で非常に開かれた地方創生の事例を実地で見学しました。特に印象的だったのは、訪問したほとんどの団体や関係者、企業の経営者、地方デザイナー、さらには末端の実務者に至るまで、各自が核心的な理念や運営方法、そして追求している社会的価値を明確に説明できることでした。こうした「各自の特色ある多様性」と「核心的な社会価値の確立」は、日本の地方創生の事例において顕著であり、台湾ではあまり見られない点です。台湾では、推進者自身が自らの地方創生事業について、十分に深く、かつ分かりやすく説明することが欠けている場合が少なくありません。

また、「これら二つの比較モデルにおける政府の役割と機能は何か?」という問いに対して、山崎氏の観察では、政府の公務員の位置が地方住民の実際の生活ニーズから離れた側に置かれています。しかし、私たちはいわき市の猪狩僚氏の事例を忘れることができません。猪狩氏は末端の公務員として自ら高齢者のもとを訪ね、雑誌『igoku』を発行して「善終(good death)」の理念と行動を広めました(図1参照、左は猪狩僚氏)。また、出水市役所は多額の公的資金を投入し、市全体をマナヅルとナベヅルの越冬地としてふさわしい環境に整備しました(図2参照)。市役所が前面に立ち、民泊、観光、商工、教育を統合し、ツルの保護を地方発展のビジョンに据えることで、環境保全と地方創生を両立させたこの事例は、持続可能な湿地管理の模範として私たちに深い印象を残しました。これらの事例は、日本の各級政府が地方創生事業において果たす役割や位置付けが多様であることを示しており、山崎氏の比較分析の理論的枠組みには限界があることを示唆しています。

圖:圖1:磐城市基層公務員猪狩僚先生,親自拜訪地方長輩,並發展《igoku》雜誌推廣「善終(good death)」的觀念與行動。
圖:圖2:出水市役所投入經費並整合各方資源,將場域打造成適合白頭鶴與白枕鶴的渡冬地。

從案例出發,看見地方創生的多方交錯

山崎亮老師對於地方創生愈來愈偏向市場經濟的憂慮有其根據,若將更多日本案例納入討論,分析的視野就會更為清晰與寬廣;其實,我們一行人最想與山崎亮老師對話的,正是這一個面向。我們整理曾經實地拜訪過九州、東北地區、關西地區的日本地方創生案例,運用兩條軸線進行分析(參考圖3),縱軸是「個人主義—社群主義」、橫軸是「市場經濟—道德經濟」。這個分析架構不是一個靜態的分類,而是一個指引架構,列舉的案例可以在不同象限中移動,例如在推動的過程中從個人主義逐漸轉變成社群主義,或是自市場經濟出發但逐漸融合道德經濟的目標,而發展出混和模式。各個名詞的簡要定義如下:

個人主義:青年選擇回鄉、留鄉創業或參與地方復振,通常將個人興趣與專長(如:農業、漁獲、手作、地方設計)與地方特色結合,形成既具個人特色、又有地方影響力的發展模式;注重個人或公司權益和自由選擇,將個人或公司營運目標的實現當成是首要目標。

社群主義:解決地方問題的核心力量來自於社群組織成的行動網絡。相信地方發展需要人與人之間的互信、共享資源與公共參與,強化居民們的集體意識與行動力。注重社會連結、價值認同與集體責任的價值觀。

市場經濟:地方創生的商品和服務的價格由市場中的供給與需求決定,創業者或企業組織的主要目標是追求利潤最大化,獲利動機驅使他們尋求創新、提高生產效率或降低成本。

道德經濟:核心理念是強調經濟行為不僅應基於個體利潤最大化,還應符合道德價值、社會正義與共善(common good)。資源分配須符合倫理標準,以及經濟活動要能促進社會福祉,而不僅僅追求市場效率或個人財富增長。

事例から見る地方創生の多面性

山崎亮氏の地方創生が市場経済に偏りつつあるという懸念には、一定の根拠があります。もしより多くの日本の事例を分析に含めれば、その視野はより明確かつ広範になるでしょう。実際、私たち一行が山崎氏と最も議論したかったのは、この側面です。私たちはこれまでに九州、東北、関西地域で実地訪問した日本の地方創生事例を整理し、二つの軸を用いて分析しました(図3参照)。縦軸は「個人主義—共同体主義」、横軸は「市場経済—道徳経済」です。この分析枠組みは静的な分類ではなく、指針としての枠組みです。事例は異なる象限間を移動することができます。例えば、推進の過程で個人主義から徐々に共同体主義へと変化したり、市場経済から出発しても道徳経済の目標と融合し、混合モデルを発展させたりします。各用語の簡単な定義は以下の通りです。

個人主義:若者がUターンやIターンをして起業したり、地域の復興に参加したりする際には、個人の興味や専門性(農業、漁業、手仕事、地方デザインなど)と地域の特色を組み合わせ、個人の特色と地域への影響力を兼ね備えた発展モデルを形成することが多く見られます。このモデルでは、個人や企業の権利と自由な選択が重視され、運営目標の実現が第一の目的となります。

共同体主義:地方問題を解決する核心的な力は、地域コミュニティが築く行動ネットワークから生まれます。地域の発展には、人々の相互信頼、資源の共有、公共への参加が欠かせず、住民の集団意識と行動力を高めることが基本理念となります。さらに、社会的つながりや価値観の共有、集団的責任を重んじる姿勢が重視されます。

市場経済: 地方創生に関わる商品やサービスの価格は、市場の需給によって決まります。起業者や企業の主な目標は利益の最大化であり、その利益追求の動機が、イノベーションの創出、生産効率の向上、コスト削減へと彼らを駆り立てます。

道徳経済: 核心的な理念は、経済活動が単に個々の利益最大化を目指すだけでなく、道徳的価値や社会的正義、そして共通善(common good)に適うものであるべきだという点を強調しています。資源の配分は倫理基準に沿う必要があり、経済活動は市場の効率や個人の富の増加だけでなく、社会全体の福祉を促進することが求められます。

圖:圖3:日本地方創生案例的分析架構。

西粟倉村:A0 group以「百年森林構想」實踐道德經濟

由於歷次實地見學的地方創生案例都經過特別挑選,無法否認對於日本地方創生案例的觀察會有選樣的偏誤。以2025年關西地區見學過程拜訪的A0 group為例,實踐基地之一設在西粟倉村已經廢棄的影石小學校。它對於地方創生的想像力和實作力,非常令人激賞。A0 group推動未來里山的願景,以自然資本作為基礎,開創經營事業,其中一項計畫為在西栗倉村進行的「百年森林構想」:疏伐次級樹木,留下健康的樹木讓森林得以茁壯和發揮自然生態系統的功能。被砍伐下的樹木製成板材(參考圖4),透過額外的加工來彌補木材的缺陷;剩餘的下腳料則用來支持其它的事業,例如:鰻魚飼養(參考圖5)、草莓栽種(參考圖6)。計畫聘用的員工為西粟倉村的身心障礙者和高齡就業者,提供有尊嚴且適合的勞動工作。A0 group以自然資本與社會資本為優先,來進行產品生產與銷售的市場規劃,儘管販售筆直的樹木能獲取最大的利益,但A0 group仍堅持選用彎曲疏伐木製成的木材,因為選擇後者才能維護百年森林生態。雖然A0 group的公司收益仰賴市場交易,但他們做決策時是以道德經濟為準則,創造出一個道德經濟與市場經濟混和的模式,來實踐社會福祉和生態價值。

西粟倉村:A0 groupが「百年の森林構想」を通して道徳経済を実践する。

これまで実地見学した地方創生の事例は、いずれも特別に選ばれたものであり、日本の地方創生を観察するうえでサンプリング・バイアスが存在することは否定できません。 2025年に関西で訪れた A0 group は、その一例です。実践拠点の一つは、西粟倉村にある廃校となった影石小学校に置かれています。彼らの地方創生に対する想像力と実践力は、非常に印象的でした。A0 group は「未来の里山」というビジョンを掲げ、自然資本を基盤に事業を展開しています。その代表的な取り組みが、西粟倉村で進められている「百年の森林構想」です。 この構想では、間伐によって間引いた下級木材を活用し、健康な木を残して森林を健全に成長させ、自然生態系の機能を発揮させます。伐採した木は板材に加工され(図4参照)、追加加工で木材の欠陥を補完。残った端材は、ウナギの養殖(図5参照)やイチゴ栽培(図6参照)など、他事業の資源として再利用されます。雇用には西粟倉村の心身障がい者や高齢者を積極的に迎え入れ、尊厳を守りつつ適した労働機会を提供しています。 A0 group は自然資本と社会資本を重視して生産・販売を計画し、利益最大化につながるまっすぐな木材よりも、あえて曲がった間伐材の利用を選び続けています。これは百年先の森林生態系を守るためです。収益の多くは市場取引に依存しているものの、意思決定では常に道徳経済の原則を重視。道徳経済と市場経済を融合させた独自のモデルを創り出し、社会福祉と生態学的価値の両立を実現しています。

圖:圖4:A0 group選擇疏伐次級樹木,再透過額外的加工來彌補木材的缺陷,以維護森林生態。
圖:圖5:加工時產生的剩餘下腳料,可用來支持鰻魚飼養事業。
圖:圖6:加工時產生的剩餘下腳料,也可用運用於草莓栽種。

使用次級材、被淘汰的鰻魚與草莓苗,動手做養殖設備、規劃事業體的發展,不浪費自然資源,徹底實踐循環經濟。同時因應新的事業體聘用當地的居民一起工作。A0 group對於未來的里山,提出理論架構:自然資本為基礎,中層是社會關係資本、上層是經濟資本。有自然、才有人民的生活、方能有經濟產業。在里山土地上生活的任何人,尤其是社會的弱勢,都能平等地參與。地方有自己獨特的環境和文化,A0 group希望在保持傳統歷史文化的同時,也同步注入新血,讓傳統與創新在當地同步發生。1公分厚的土壤需要100年的時間累積,土壤的最上層是A0層,它是腐植層。有最上方的腐質層保護土壤,土壤就不致被大雨沖刷而流失。腐植層能保護土壤和滋養土壤。土壤就像傳統,從事地方創生的企業集團體則扮演著A0層的功能,提供養份、保護土壤,讓傳統能持續累積並受滋養。

十五年前,A0 group成立時,西粟倉村的居民正在反對與鄰近的市町村合併,集體訴求西粟倉村是一個完整的行政自治體。當時西粟倉村的人口數是1,600人,現在則是1,300人。初看之下,人口數還是往下降。不過,之前官方預測到2025年時,整體人口會下降到1,000人,現在的人口則高於預期。仔細檢視人口的變化和組成,在現有的1,300人之中,勞動人口和兒童數的比例有回升的現象。高齡化的長輩們過世是無法阻止的,但移入的青年人口、創業人口是增加的。雖然少了300人,但年輕的勞動人口、年長的勞動人口增加、稅收也是增加的。A0 group在西粟倉村推動的百年森林構想計畫,幫助減緩當地整體人口下降,同時創造了經濟產值。過程之中,西粟倉村役場(鄉公所)加入A0 group的行動,協助說服地主們將林地委託給A0 group管理,共同推動百年森林構想的事務。日本地方政府的樣態是多元的,還是會有地方政府具備創新性,能配合社區設計的目標規劃政策,翻轉地方創生的生態體系,促進更多新、舊居民的共同參與,並達到永續經營的目標。A0 group提出的「社區設計」,是透過環境保護連結道德經濟,並串聯市場經濟的公民參與,也有別於山崎亮老師提到的審議式民主案例,例如由區民集體打造的泉佐野丘陵綠地公園。

A0 group對於經濟的理解,超越了狹隘市場經濟的範圍,而是包括對自然資產、社會資產重新的定位,並且發展出紮實的立論基礎和實務經驗,開展地方創生事業對於道德經濟理解的新框架。

また、二等材や規格外のウナギ・イチゴの苗を活用し、自作した養殖設備で事業の発展を計画することで、自然資源を無駄にせず、徹底した循環経済を実践しています。あわせて、新しい事業に合わせて地元住民を雇用し、ともに働いています。A0グループは、未来の里山を考えるうえで、自然資本を基盤に、その上に社会関係資本を、最上層に経済資本を位置づける理論的枠組みを示しました。自然があってこそ人々の生活があり、経済産業が成り立つという考え方の体現です。里山で暮らす誰もが、特に社会的に弱い立場の人々が、平等に参加できることを重視しています。地域には独自の環境と文化があり、A0グループは伝統的な歴史文化を守りながら、新しい要素を取り入れ、伝統と革新が同時に進むことを目指しています。1センチメートルの土壌が形成されるには約100年が必要とされます。土壌の最上層はA0層と呼ばれる腐植層であり、この層が土壌を保護し、大雨による流出を防ぎます。腐植層は養分を供給し、土壌を守ります。これは伝統にも似ており、地方創生に取り組む企業集団はA0層の役割を果たし、養分を与え、土壌を守りながら、伝統が継続的に蓄積・育まれるよう支えています。

A0グループが設立された15年前、西粟倉村の住民は近隣市町村との合併に反対し、村が独立な行政自治体として存続することを訴えました。当時の人口は約1,600人でしたが、現在は約1,300人です。一見すると減少しているように見えますが、当時の公式予測では2025年までに1,000人にまで減るとされていました。実際には予測を上回っています。人口構成を見ると、労働人口や子どもの割合が回復しており、若い移住者や起業者が増えています。高齢者の自然減は避けられませんが、若い労働人口と年配の労働人口が増加し、税収も伸びています。さらに、A0グループが推進する「百年の森林構想」は、地域の人口減少を緩和すると同時に経済的価値を生み出しました。この過程で、西粟倉村役場もA0グループと連携し、地主に林地を同グループに委託するよう働きかけ、事業を共に進めました。日本の地方自治体には多様な在り方がありますが、同村役場のように、コミュニティデザインの目標を政策化し、地方創生の生態系の再構築・住民全体の共同参加を促し、持続可能な経営を実現する革新的な自治体も存在します。ちなみに、A0グループが提唱する「コミュニティデザイン」は、環境保護を通じて道徳経済と結びつけ、市場経済への市民参加を連携させるものです。これは、山崎亮氏が紹介した住民協働型の審議民主主義の事例(例えば泉佐野丘陵緑地公園づくり)とは異なっています。

以上をふまえてまとめると、A0グループの経済観は狭義の市場経済を超え、自然資産や社会資産の再定義を含んでいます。豊富な理論的根拠と実務経験を積み上げ、地方創生における道徳経済への理解に新しい枠組みを切り開いています。

豐岡市:維護地方襲產,混合市場與道德經濟

還有另一個案例,這次參訪豐岡市東方白鸛之鄉公園,由前市長中貝宗治先生接待和介紹。在他任內推動了活化地方的三項政策,包括:營造東方白鸛的棲息地(參考圖7)、活用城崎溫泉的觀光資源,以及打造國際戲劇藝術中心。在執行東方白鸛的復育以及野放工作時,重要的核心議題是農田環境保護。讓小學生進到農田從事農務活動,帶動成年人反省、進而付諸行動,有助於共同維護不用農藥的農地,保護東方白鸛的生存。同時,居民生產的糧食也可以用更高的單價出售,市民可以獲得經濟利益。豐岡市內的另一觀光資源城崎溫泉,同樣維持舊時的街道風貌,並保留了傳統的日本溫泉文化,善用傳統賺取國內外觀光客的經濟消費。不只是保留傳統,前市長中貝宗治與其團隊也投入創新的發想,市府接收城崎溫泉區的營運不佳的館舍後,將之改造成國際藝術中心,且邀請全球知名劇作家平田織佐先生協助,共同奠定了設立縣立藝術文化觀光大學的基礎;後續推動的豐岡藝術季,也吸引了來自世界各地的戲劇專業工作者,藝術季將為他們帶來更好的發揮和串聯空間。有創意的地方首長帶動地方政府公務員推動政策,更有機會建立一個規模大且可以長期運作的地方創生生態體系。這是另外一個社群主義的基礎下,混和市場經濟和道德經濟的案例。

豊岡市:地域資源の保護を通じて市場経済と道徳経済を融合させる。

もう一つの事例として、今回の訪問では 豊岡市のコウノトリの郷公園 を訪れ、前市長の 中貝宗治氏 から直接案内を受けました。 中貝氏の在任中には、①コウノトリの生息地整備(図7参照)、②城崎温泉の観光資源活用、③国際演劇芸術センターの設立という三つの地方活性化政策が推進されました。コウノトリの復育と放鳥を進めるうえで最も重要な課題は、農地環境の保全でした。小学生が農作業に参加することで、大人が農薬の使用を見直すきっかけとなり、地域全体で無農薬農地を維持する取り組みが進み、コウノトリの生息環境の保護に大きく寄与しました。同時に、住民が生産した農産物は高値で販売され、地域に経済的利益をもたらしています。豊岡市のもう一つの資源である 城崎温泉 では、昔ながらの街並みと伝統的な温泉文化を守りながら、国内外からの観光客を惹きつけ、経済的な収益を確保しています。さらに中貝氏とそのチームは、伝統を維持するだけでなく革新的な施策も展開しました。市が経営不振に陥った城崎温泉街の施設を引き取り、国際芸術センター に改築しました。世界的に著名な劇作家・平田オリザ氏 を招へいし、県立芸術文化観光大学設立の基盤を築きました。その後、豊岡演劇祭 が開催され、世界中の演劇専門家を惹きつけ、活躍と交流の場を提供しています。 このように、創造性豊かな地方首長が公務員を動かして政策を推進することで、大規模かつ長期的に持続可能な地方創生のエコシステムが形成される可能性が高まります。 豊岡市の取り組みは、共同体主義を基盤としつつ、市場経済と道徳経済を融合させた好例といえるでしょう。

圖:圖7:豐岡市前市長中貝宗治,於任內推動東方白鸛之鄉公園。

日本九州、東北和關西地區的案例中,除了東北的重災區有政府資金大量投入重建工作外,地方團體或企業自己籌募資金推動地方創生工作的比例不低,有些企業體甚至拒絕政府補助,開展出非常驚人的成就,像是:御花、SHONAI、FISHERMAN、Local Flag、MORIUMIUS LUSAIL、由九州地方創生實務工作者組成薩摩會議的成員們都是很棒的案例;和臺灣地方創生實務工作者仰賴申請政府資源有很大的差異。這些日本的地方創生案例對於要追求什麼樣的經濟發展、要有什麼樣的地方社會、要如何維繫地方的傳統和現代生活,都有不同的想法和推展策略。他們並沒有受限在市場經濟活動(開咖啡廳、民宿、選物店)和市民公共活動的框架,而是更擴大對於經濟概念、公共性的論述,並且加以落實。

最後,在評估地方創生案例的成效時,日本的地方創生實務工作者也會根據其理論依據、問題意識、社會價值進行運作方式的診斷,和市場經濟強調成本效益的計算方式有截然不同的做法。例如:以自然資本為基礎的A0 group在慘賠了十五年後,不斷地調整營運方式,終於開始賺到錢。儘管A0 group在這十五年內虧損甚劇,但試想,若十五年來沒有A0 group的堅持和社會實踐,西粟倉村人口會快速地如預期下滑、勞動力會大幅衰退、林業會崩解;一個瓦解的地方社會,是沒有機會再起。再例如:如果豐岡市在二十年前不做東方白鸛的復育野放工作,這種鳥類會在全日本絕跡。連帶的,缺乏保護的農地為追求糧食生產率,將使用大量農藥,造成食安問題;兒童則會因缺乏機會進入農地,對自身的鄉土毫無感動和認同。許多日本地方創生案例所評估的成效並不是只看市場經濟的貨幣數值,而是朝向社會和環境價值。

聽完山崎亮老師的演講後,很希望能將上述的想法和意見回饋給這位在日本的地方創生學術/實務界有影響力的代表性人物。同時,此次經驗給了我們一行人很大的啟發:要把日本和臺灣的地方創生案例做系統化的整理和分析。在日本,看到山崎亮一直不斷努力地在進行相關的書寫和研究工作,臺灣的學術界同儕們也需要再多努力。

九州・東北・関西地域の日本の事例をみると、東北の被災地における政府資金による大規模復興事業を除けば、地方団体や企業が自ら資金を調達して地方創生を推進している割合が少なくありません。 なかには 政府の補助金をあえて受けずに、顕著な成果を上げている企業や団体もあります。たとえば、御花、SHONAI、FISHERMAN、Local Flag、MORIUMIUS LUSAIL、そして九州地方創生の実務者で構成される 薩摩会議 などは、その代表的な事例です。こうした姿勢は、政府の補助金申請に大きく依存しがちな台湾の地方創生の実務者とは対照的です。これら日本の地方創生の取り組みは、①どのような経済発展を目指すか ②地方社会をどのように構築するか ③伝統と現代の生活をどう両立させるかといった課題について、それぞれ独自の考えと推進戦略を持っています。 さらに、市場経済活動(カフェ・民宿・セレクトショップなど)や市民の公共活動という従来の枠にとどまらず、経済の概念や公共性のあり方を拡張し、それを実践している点も大きな特徴です。

最後に、地方創生の成果を評価する際、日本の地方創生実務者は、市場経済が重視する費用対効果の計算とは異なり、理論的根拠・問題意識・社会的価値に基づいて運営方法を検証する独自のアプローチを取っています。たとえば、自然資本を基盤とする A0 groupは、15年間赤字が続きながらも運営方法を絶えず調整し、ついに収益化を実現しました。 この15年間で大きな損失を被ったものの、もし彼らの粘り強い社会実践がなければ、西粟倉村は予測どおり人口が急減し、労働力が大幅に失われ、林業も崩壊していたでしょう。崩壊した地域社会には、再生の機会すら残らなかったはずです。同様に、豊岡市が20年前にコウノトリの復育・放鳥事業を始めていなければ、この鳥類は日本から絶滅していたかもしれません。 その場合、保全されない農地では食糧生産率を追求するため大量の農薬が使用され、食の安全が脅かされていたでしょう。さらに、子どもたちが農地に触れる機会を失い、故郷への愛着や感動を持つことも難しかったはずです。このように、多くの日本の地方創生事例が重視する成果は、通貨価値にとどまらず、社会的・環境的な価値の実現へと向けられているのです。

山崎亮氏の講演を拝聴し、日本の地方創生の学術・実務両分野で大きな影響力を持つ山崎氏に、これらの考えや意見をぜひフィードバックしたいと強く感じました。 同時に、この経験は私たちに大きな刺激を与え、日本と台湾の地方創生事例を体系的に整理・分析する必要性を改めて認識させるものとなりました。また、日本で山崎氏が執筆や研究に継続的に取り組む姿を目の当たりにし、台湾の学術界の同僚たちも、より一層の努力が求められていると痛感しました。

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