Taiwan

關係也是防災的基礎設施:臺日地方實踐、田野觀察與學生學習

関係も防災のインフラである:台湾・日本の地域実践、フィールドワークと学生の学び
專題文章 ( 特集記事 )
學校(学校) | 國立暨南國際大學 国立暨南国際大学 作者(著者) | 林怡資
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一、臺日聯盟開啟的機會之窗
2024年,在臺中舉行的第六屆臺日聯盟「新實踐」研討會上,我第一次遇見高知太平洋學園的伊藤創平老師(以下簡稱伊藤師)。我的報告結束後,伊藤師走來與我聊天,我們從各自關心的防災議題談起,直到會場熄燈、工作人員開始整理空間,才發現已經過了將近兩個小時。前往晚宴會場的車程中,對話仍未停下。誰也沒想到,這段相遇後來會成為一條連結埔里與高知、持續延伸的防災教育交流之路。現在回頭看,也許是因為彼此都帶著尚未解決的地方課題。
國立暨南國際大學所在的埔里,是九二一地震的受災地。對我而言,九二一從來不只是研究與課堂裡的一段歷史。我因親友在地震中離去,也走進防災教育。這些年來,我思考著,當親身經歷過九二一的一代逐漸老去,學生也都在九二一地震後出生,這些對他們來說是歷史。那麼這個地方曾經受災經驗與故事,累積的知識與彼此照顧的經驗,能如何走進下一個世代?
高知面對的是另一種災害時間。日本許多防災教育,是從經歷過重大災害的地方發展出來的,如神戶與東北;高知面對的,卻是週期將至但尚未到來的南海海槽巨大地震與海嘯。埔里思考的是,如何讓已經發生的災害不只成為歷史;高知面對的,則是如何讓尚未發生的災害被理解,並使準備在災害到來以前開始。
伊藤師說:「太平洋學園是在災前進行防災專門學習的學校」,這樣的背景形成,也是因為學校的特殊經歷:主要陪伴有不登校經驗的學生,或需要不同學習方式的孩子。他告訴我,防災是一個很適合讓學生參與交流的議題。這句話讓我一直記得。防災不只是在教地震、海嘯與避難,也可以讓孩子與別人合作,重新走進學習,並發現自己不是什麼都做不到。伊藤師畢業於高知大學。雖然是大阪人,後來留在高知工作。我們的合作也連結到高知大學大槻知史教授,以及本校科技學院陳皆儒院長、土木系與人社中心。但這些不是在第一次就說好的,而是在一次次對話、互訪與回應學生需求的過程中,慢慢走出一條臺日防災教育交流的路。臺日聯盟為我們開啟的,不只是一場會議裡的相遇,更像是一扇窗,讓埔里與高知各自帶著的問題,可以從窗的兩邊互相看見。

一、台日連盟が開いた「機会の窓」
2024年、台中で開催された第6回台日連盟「新実践」シンポジウムで、私は初めて高知太平洋学園の伊藤創平先生(以下、伊藤先生)に出会った。私の発表が終わると、伊藤先生が話しかけてくださり、私たちはそれぞれが関心を寄せている防災の課題について話し始めた。そして、会場の照明が消され、スタッフが会場の片付けを始めたことで、ようやく二時間近く話し続けていたことに気づいた。懇親会の会場へ向かう車の中でも、対話は途切れることがなかった。誰も、この出会いが後に埔里と高知をつなぎ、継続的に発展していく防災教育交流の道になるとは思っていなかった。今振り返ってみると、それはおそらく、私たちがそれぞれに、まだ解決されていない地域の課題を抱えていたからなのだと思う。
国立暨南国際大学が位置する埔里は、1999年の921地震の被災地である。私にとって、921地震は決して研究や授業の中だけにある一つの歴史ではない。私は地震によって親しい人を失った経験から、防災教育の道にも入っていった。これまで私は、921地震を実際に経験した世代が少しずつ高齢になり、学生たちは皆、地震の後に生まれ、彼らにとって921地震がすでに「歴史」になっていく中で、問い続けてきた。この地域がかつて経験した災害、その中で語り継がれてきた物語、積み重ねられてきた知識や、互いに支え合ってきた経験を、どのように次の世代へつないでいくことができるのだろうか?
高知が向き合っているのは、また異なる「災害の時間」である。日本の多くの防災教育は、神戸や東北のように、実際に大きな災害を経験した地域から発展してきた。一方、高知が向き合っているのは、周期的な発生が近づいているものの、まだ起きていない南海トラフ巨大地震と津波である。埔里が考えているのは、すでに起きた災害を単なる歴史にしないためにはどうすればよいかということだ。それに対して高知が向き合っているのは、まだ起きていない災害をどのように理解し、災害が起こる前から備えを始めるかということである。
伊藤先生は、「太平洋学園は、災害が起こる前に防災を専門的に学ぶ学校です」と話してくださった。その背景には、学校が持つ特殊な経験がある。太平洋学園では、主に不登校を経験した生徒や、異なる学び方を必要とする子どもたちに寄り添っている。伊藤先生は、防災は生徒たちが交流に参加するきっかけとして、とても適したテーマだと話してくださった。この言葉は、今でも私の中に残っている。防災は、地震や津波、避難について学ぶだけではない。子どもたちが誰かと協力し、もう一度学びの場に入り、自分は「何もできない存在」ではないと気づくきっかけにもなり得る。伊藤先生は高知大学を卒業し、大阪出身でありながら、その後高知に残って仕事をしている。私たちの協働は、高知大学の大槻知史教授、そして本学科技学院の陳皆儒院長、土木工学系および人社センターとのつながりにも広がっていった。しかし、これらは最初から決められていたものではない。一度一度の対話、相互訪問、そして学生たちのニーズへの応答を重ねる中で、少しずつ台湾と日本をつなぐ防災教育交流の道が形づくられていったのである。台日連盟が私たちに開いてくれたのは、単なる一つの会議での出会いではなかった。それはむしろ一枚の「窓」のようなものだった。その窓を通して、埔里と高知がそれぞれ抱えていた課題を、互いに見つめることができたのである。

二、從日本回看臺灣:人類學如何成為防災的觀看方法
我從事防災教育近十三年,土木系的訓練,讓我認識工程的技術與方法,試著從土木的角度看事情;而人類學則提醒我,防災所面對的從來不只是災害本身,而是生活在風險之中的人。2025年2月,我第一次參加高知大學舉辦的Spring School。那是一場以具海嘯高風險的高知須崎地方為田野的工作坊,當時我帶著一位修習我通識課程的學生參與。
在那裡,我看見這場工作坊如何連結地方政府、當地不同的學校,我也看見,持續辦理工作坊,能為地方帶來不同的思考與觀點刺激。不同國家、學校與專業背景的人走進來,討論地方問題,也一起想像可以做些什麼。不同國家、學校與專業背景的人走進來,談地方的問題,也一起想像能做些什麼。工作坊最後,大槻老師請我給學生一些綜合建議。我把自己逐漸形成的研究方法整理成三句話:
Be an Insider-成為局內人。
Be an Outsider-再成為局外人。
Do What You Can Do-做自己可以做的事。
成為局內人,是願意靠近地方,不急著帶著答案進去,而是先理解人們如何說話、感受當地的時間感,還有如何看待自己所處的環境,這些經驗未必能直接透過提問得到答案。有時也需要閉上嘴,用身體感受與傾聽。外來者看到的可能是一片面臨海嘯威脅的低地,住在那裡的人看到的,卻可能是家、工作、親人與一輩子的生活。
人在自己的地方生活久了,反而不一定會注意道路、空間、生活習慣與人際關係,局外人的位置,可以讓我們重新看見那些被視為理所當然的事情,這可能是地方珍貴的特色,也可能是一直沒有被發現的問題。再成為局外人,是指當我們進入田野,一定帶著自己的觀點與視野,理解當地人後,不是要放棄自己的想法,這時自己學科的方法,就能在當地人習以為常的日常,給予不同的觀點。
最後,是做自己可以做的事。我們常帶著專業走進地方,很快就看見問題,但真正的地方實踐,不是宣稱能替所有人解決困難,而是在自己的位置上,找到可以持續陪伴,又不越過他人生活界線的行動。無論是學生或教師,都能在自己可以做的位置上,盡可能建立連結。
人類學的參與觀察與田野方法提供我在進行防災研究時,不是一套標準答案。而是使我在提出答案前,多問幾個問題:我站在哪裡?我是用誰的角度定義問題?我覺得好的方法,對生活在這裡的人而言,也真的是好的嗎?
這樣的提問並不只屬於人類學。Spring School中,具有都市計畫背景的義大利Rizzi教授也提醒學生:任何空間規劃與政策設計,都不能只看圖面、人口與成本,還必須理解真正生活在其中的人。一項方案能不能進入地方,取決於使用者如何理解與使用空間,以及改變會帶走或保留什麼。包含我所遇到的日本工科背景的防災專家,也都會進行田野調查,開始的方式就是傾聽,先從成為當地人開始。

二、日本から台湾を見つめ直す:人類学を防災の「まなざし」にする
私は約13年間、防災教育に携わってきた。土木工学の訓練を通して、私は工学的な技術や方法を学び、土木工学の視点から物事を見ることを身につけてきた。一方、人類学は私に、防災が向き合っているのは決して災害そのものだけではなく、リスクの中で暮らしている「人」なのだということを教えてくれた。2025年2月、私は初めて高知大学が開催するSpring Schoolに参加した。それは、津波リスクの高い高知県須崎地域をフィールドとしたワークショップであり、当時、私は自分の共通教育科目を履修していた学生一人を連れて参加した。
そこで私は、このワークショップが地域行政や地域のさまざまな学校をどのようにつないでいるのかを目にした。また、ワークショップを継続して開催することが、地域に異なる思考や視点をもたらす刺激になっていることも知った。異なる国、学校、専門分野を背景とする人々が地域に入り、地域の課題について話し合い、そして「自分たちには何ができるのか」をともに想像していたのである。ワークショップの最後に、大槻先生から学生たちに向けて、総合的なアドバイスをしてほしいと依頼された。私は、これまでの研究や実践を通して少しずつ形づくられてきた自分の方法を、三つの言葉に整理した。
Be an Insider――内側の人になる。
Be an Outsider――そして、外側の人になる。
Do What You Can Do――自分にできることをする。
「内側の人になる」とは、地域に近づこうとすることだ。最初から答えを持って地域に入るのではなく、まず人々がどのように話し、どのように感じ、その土地の時間の流れをどのように捉え、自分たちが暮らす環境をどのように見ているのかを理解しようとする。こうした経験は、必ずしも質問をすれば直接答えが得られるものではない。時には口を閉じ、自分の身体で感じ、耳を傾ける必要もある。外から来た者には、そこは「津波の脅威にさらされている低地」に見えるかもしれない。しかし、そこに暮らす人々にとっては、「家」であり、「仕事」であり、「家族」であり、「一生をかけて暮らしてきた場所」なのかもしれない。
人は、自分の暮らす場所に長く住んでいるほど、道路や空間、生活習慣、人との関係に、かえって気づかなくなることがある。だからこそ、外から来た者の立場は、当たり前だと思われているものをもう一度見つめ直すきっかけになる。それは、その地域の大切な特徴かもしれないし、これまで気づかれてこなかった問題かもしれない。
「再び外側の人になる」というのは、私たちがフィールドに入るとき、必ず自分自身の視点や専門的な見方を持っているということでもある。地域の人々を理解したからといって、自分の考えを捨てる必要はない。そこで、自分の専門分野の方法が、地域の人々にとって当たり前となっている日常に、別の視点をもたらすことができる。
そして最後が、「自分にできることをする」ということである。私たちは専門知識を持って地域に入ると、すぐに問題を見つけることができる。しかし、本当の地域実践とは、すべての人の困難を自分が解決できると宣言することではない。自分の立場から、継続的に寄り添うことができ、同時に他者の生活の境界を越えない行動を見つけることである。学生であっても教師であっても、自分ができる位置から、できる限りつながりを築いていくことができる。
人類学の参与観察やフィールドワークの方法が、防災研究に与えてくれるのは、一つの「正解」ではない。むしろ、答えを出す前に、いくつかの問いを増やしてくれるのである。「私はどこに立っているのか?」、「私は誰の視点から、この問題を定義しているのか?」、
「私が良いと思う方法は、ここで暮らしている人々にとっても、本当に良い方法なのだろうか?」
こうした問いは、人類学だけのものではない。Spring Schoolでは、都市計画を専門とするイタリアのRizzi教授も学生たちに、どのような空間計画や政策設計であっても、図面や人口、コストだけを見ることはできず、実際にそこで暮らしている人々を理解しなければならないと話していた。ある計画が地域に受け入れられるかどうかは、利用者がその空間をどのように理解し、どのように使うのか、そして変化によって何が失われ、何が残されるのかによって決まる。私が出会った日本の工学系の背景を持つ防災専門家たちも、地域に入る際にはフィールドワークを行っていた。そして、その始まりにあるのは「聴くこと」であり、まず地域の人になることから始めていた。

三、一張畫裡的答案:安全之外,人可能失去什麼?
Spring School期間,Rizzi教授向學生提出一個直接、也很有挑戰性的問題。日本正面對少子化與高齡化,海邊聚落人口逐漸減少,居民年齡也愈來愈高,那麼政府為什麼不提供一筆足以讓居民安度餘生的費用,協助他們搬到更安全的地方就好?這個問題的答案,其實已經被我畫進當時的田野筆記裡。你看得出來嗎?

三、一枚の絵の中にある答え:安全のほかに、人は何を失うのか
Spring Schoolの期間中、Rizzi教授は学生たちに、直接的でありながら、とても挑戦的な問いを投げかけた。日本は少子高齢化に直面しており、海辺の集落では人口が少しずつ減少し、住民の高齢化も進んでいる。それならば、なぜ政府は、住民が残りの人生を安心して暮らせるだけの十分な費用を提供し、より安全な場所へ移住してもらうという方法を取らないのだろうか。その問いへの答えは、実は当時のフィールドノートの中に、私自身が描いた一枚の絵として残っている。あなたには、その答えが見えるだろうか?

圖:圖1、我在須崎田野觀察時的手繪圖(林怡資會)
圖:図1 須崎でのフィールドワーク中に描いたスケッチ(林怡資作)

「因為這群人是漁夫」Rizzi教授這樣說著,我看到同學們眼中的震驚。我的畫裡有須崎海岸、洋流與魚群、以及當地的吉祥物新庄君,我的畫裡不是一片等待海嘯抵達的危險區,而是豐富的魚產與美麗的海邊,是人與海一起生活的地方。
這片海可能具有海嘯風險。但對漁夫來說,海是工作、技術、季節、時間感與身份的一部分。在須崎,居民告訴我,生魚片是用當天捕到的魚做的。對有些地方而言,兩三天前的魚貨或許仍可稱為生魚片;但對當地人來說,這裡的魚必須是「今天的魚」。這不只是對新鮮的要求,也是一種與海、季節和漁獲節奏共同生活的方式。因此,離開海意味著離開熟悉的勞動方式、長年累積的知識、彼此照應的關係,以及自己生長的家鄉。
災害潛勢高的地區常會被外界問:「為什麼他們不搬走」,這句話便可能把居民理解成缺乏風險意識。但若從人類學與使用者的觀點再問一次,問題便會變成:他們為什麼留在這裡?海除了危險以外還具有什麼意義?如果離開,他們會獲得什麼,又會失去什麼?防災的目的當然是保護生命,但生命不只是呼吸與存活,也包括一個人能否保有熟悉的生活、關係、能力與尊嚴。對一位漁夫而言,提供足夠度過餘生的費用,或許可以解決經濟問題,卻不一定回答生活的問題。
這也正是目前防災教育在推動時必須理解使用者觀點的原因。再進步的科技以及空間規劃,都需要人的理解,若規劃只處理地理上的安全,卻沒有處理生活如何延續,即使方案在技術與財務上可行,也可能無法被地方真正接受。阪神淡路大地震與東日本大地震後的重建經驗,也提醒我們:若空間規劃未能處理人際關係與生活延續,可能造成新的疏離。這也讓我更確定,成為局內人、再成為局外人、做自己可以做的事,並不是抽象的研究口號,而是一種實踐的順序:先理解地方如何生活,再提出專業所看見的風險與可能,最後從彼此可以接受的地方開始改變。專業讓我們有能力提出方法,而理解別人,才使方法有機會真正走進生活。

「なぜなら、彼らは漁師だからです。」Rizzi教授がそう話したとき、私は学生たちの目に浮かんだ驚きを見た。私の絵の中には、須崎の海岸、海流と魚群、そして地域のマスコットである「しんじょう君」が描かれている。そこに描かれているのは、津波が到達するのを待つ危険区域ではない。豊かな魚と美しい海があり、人と海がともに暮らしている場所である。
この海には、確かに津波のリスクがある。しかし、漁師にとって海は、仕事であり、技術であり、季節であり、時間感覚であり、そして自分自身のアイデンティティの一部でもある。須崎で、地域の方から「刺身はその日に獲れた魚でつくる」と聞いた。地域によっては、二、三日前の魚でも刺身と呼ぶことができるかもしれない。しかし、ここでいう魚は「今日の魚」でなければならない。それは単に鮮度を求めているということではない。海や季節、漁獲のリズムとともに暮らす一つの生き方なのである。だからこそ、海を離れるということは、慣れ親しんだ仕事の方法だけでなく、長年にわたって蓄積してきた知識、互いに支え合ってきた関係、そして自分が育ってきた故郷を離れることを意味する。
災害リスクの高い地域では、外部から「なぜ彼らは引っ越さないのか」と問われることがある。この言葉は、住民を「リスクへの意識が低い人々」として理解してしまう可能性がある。しかし、人類学や利用者の視点から、もう一度問い直してみると、問題は次のように変わる。「なぜ彼らはここに住み続けるのか?」、「海は、危険であること以外に、どのような意味を持っているのか?」、「もしここを離れたら、何を得て、何を失うのか?」もちろん、防災の目的は命を守ることである。しかし、命とは単に呼吸し、生存することだけではない。その人が慣れ親しんだ生活、関係、能力、そして尊厳を保つことができるかどうかも、命の一部なのである。漁師にとって、残りの人生を過ごすために十分な費用を提供することは、経済的な問題を解決することはできても、「生活」の問題に答えることにはならないかもしれない。
これこそが、現在、防災教育を進める際に、利用者の視点を理解しなければならない理由でもある。どれほど高度な技術や空間計画であっても、人々の理解を必要とする。計画が地理的な安全だけを扱い、生活をどのように継続していくのかという問題を扱わなければ、たとえ技術的にも財政的にも実現可能な計画であったとしても、地域に本当の意味で受け入れられない可能性がある。阪神・淡路大震災や東日本大震災後の復興の経験もまた、空間計画が人間関係や生活の継続を十分に扱えなければ、新たな孤立や疎外を生み出す可能性があることを私たちに教えている。こうした経験を通して、私は、「内側の人になる、そして外側の人になる、自分にできることをする」という三つの言葉が、抽象的な研究上のスローガンではなく、一つの実践の順序なのだと、より強く確信するようになった。まず、その地域の人々がどのように暮らしているのかを理解する。次に、専門的な視点から見えるリスクや可能性を提示する。そして最後に、互いに受け入れられるところから変化を始める。専門知識は、私たちに方法を提案する力を与えてくれる。しかし、他者を理解することによって初めて、その方法が実際の生活の中に入り込む可能性が生まれるのである。

四、讓交流走進實踐:從教師對話到跨世代共同參與
我與伊藤師的相遇,沒有停留在我們之間,在2025年高知的台日聯盟,2025年在高知舉辦的臺日聯盟研討會中,我們進一步將兩校交流發展為防災教育主題的共同報告,也加深了與高知大學姐妹校及龍谷大學夥伴的連結。原本屬於個人的對話,開始延伸成大學、高中、國中與地方之間的關係。
2025年,我帶著一位通識課程學生參與高知的Spring School;同年5月,嘉義縣中埔國中的學生也前往高知交流。2026年,陳皆儒院長所指導的兩位學生,與我的一位通識課程學生再次參與Spring School,進入須崎的地方場域,也體驗、討論並設計防災遊戲。同年,嘉義縣義竹國中與豐山實驗教育學校的學生,共同參與「大手牽小手」(讓大學師生與國高中師生或小學師生共同學習的交流)計畫,彼此陪伴。今年度太平洋學園的同學們也走入埔里,認識在地的災害防救志工隊、集集國小,與紙教堂里。以防災牽起的各種世代與場域的交流就在彼此的互訪與理解和學習中共同進行。

四、交流を実践へ:教師同士の対話から世代を越えた共同参加へ
私と伊藤先生との出会いは、私たち二人の間だけにとどまらなかった。2025年、高知で開催された台日連盟のシンポジウムでは、私たちはさらに、両校の交流を防災教育をテーマとした共同発表へと発展させ、高知大学の姉妹校や龍谷大学のパートナーとのつながりも深めていった。もともとは個人と個人の対話だったものが、大学、高校、中学校、そして地域の間へと広がる関係になっていったのである。
2025年、私は共通教育科目の学生一人を連れて高知のSpring Schoolに参加した。同年5月には、嘉義県中埔国中の生徒たちも高知を訪れ、交流を行った。2026年には、陳皆儒院長の指導を受ける二人の学生と、私の共通教育科目を履修する学生一人が再びSpring Schoolに参加し、須崎の地域の現場に入り、地域を体験し、議論し、そして防災ゲームをデザインした。同じ年、嘉義県義竹国中と豊山実験教育学校の生徒たちは、「大手牽小手」――大学生・大学教員と中高生、あるいは小学生がともに学ぶ交流――に参加し、互いに寄り添いながら学んだ。そして今年度は、太平洋学園の生徒たちも埔里を訪れ、地域の災害防救ボランティア隊、集集国小、そして紙教堂のある地域を訪問した。防災をきっかけとして生まれた、さまざまな世代と地域の交流は、互いの訪問、理解、そして学びを通して、ともに進められている。

圖:圖2、國中師生與高知師生在須崎避難塔上合影
圖:図2 中学生と高知の生徒・教員が須崎避難タワーで記念撮影

大學生不再只是跟著教師參訪,而是作為工作坊的一員,逐漸成為高中生與國中生的陪伴者、文化轉譯者與學習協作者。原本由教師開啟的關係,開始有了不同世代的位置。我們把國際交流帶給孩子們,讓孩子們出國看不同的世界,但我覺得我們真正做的,是讓孩子走進另一個地方,再回頭看見自己的地方。也讓不是平常熟悉的人事物進入自己的日常,能夠意識到自己的存在。

大学生は、もはや教師について地域を訪問するだけの存在ではない。ワークショップの一員として参加し、次第に高校生や中学生に寄り添う存在となり、文化の翻訳者となり、そして学びをともにつくる協働者となっていった。教師が始めた関係の中に、異なる世代の新しい位置が生まれ始めたのである。私たちは国際交流を子どもたちに届け、子どもたちに海外へ行って異なる世界を見てもらう。しかし、私たちが本当に行っていることは、子どもたちが別の地域に入り、そこで他者の暮らしを見ることを通して、もう一度、自分自身の地域を見つめ直すことなのではないかと思う。そして、普段は身近ではない人や物事が自分の日常の中に入ってくることで、自分自身がそこに存在していることにも気づくことができる。

圖:圖3、大學生在Spring school須崎公民館發表會(林怡資攝)
圖:図3 Spring Schoolにおける大学生の須崎公民館での発表(林怡資撮影)

五、透過學生的眼睛,看見交流真正留下了什麼
交流後的分享是學習重要的足跡,不論在中學、高中與大學,我們都看到同學的轉變。
一位參與交流的國中生在回饋中分享:「原本以為防災就是地震要做防災演練,但到了日本後,才發現大家很認真的在做防災,海嘯的避難體驗讓他感覺日本做防災的認真。」也因為和日本的學生交流,同學同能夠表達的語言進行交流,才深感學習的重點。也因為看見日本學生自己熟悉居住地,也開始思考:「我的家鄉特色有什麼?」這些回答未必直接使用「韌性」或「防災」等詞彙,卻已經顯示出孩子開始將防災與地方生活連結起來。另一位學生則提到,到了國外才有機會慢下來,感受到街道的乾淨與建築物的美,也因此回到自己家鄉才發現自己家也那麼美。。國際交流不是只讓孩子學會比較哪一個國家比較進步或厲害而已,真正的學習,是在看見別人之後,重新認識自己。
對現在的臺灣孩子而言,九二一大地震是歷史;對高知的學生而言,南海海槽巨大地震則是一場尚未發生的未來。兩地學生都面對類似的困難:如何理解自己沒有親身經歷的災害?單靠更多知識不一定足夠,但當孩子走進地方、與另一群學生相遇,聽見對方怎麼談自己的生活與風險,災害就不再只是遙遠的名詞。
大學生的成長,則出現在另一條路徑上。2026年參與Spring School的學生,在須崎進行田野調查後,結合當地居民的意見,為未來圖書館設計防災遊戲。對他們而言,最困難的並不是想出遊戲規則,而是如何把訪談中聽見的地方經驗放進設計裡;他們必須在「遊戲要好玩」與「議題不能被簡化」之間反覆調整。
回到臺灣後,學生將這段經驗帶回同年的六月的「菲常防災」讀書會,以〈從高知出發:防災也能設計成遊戲?〉為題,分享田野調查、遊戲開發與交流過程中的思考。從走進地方、傾聽居民,到站出來向他人分享經驗,他們逐漸理解:防災遊戲不只是讓人記住正確答案,而是創造一個能讓不同處境、選擇與風險理解被說出來、被討論的空間。這樣的學習軌跡,正呼應了我所說的:先成為局內人,再成為局外人,最後回到自己可以做的事。

五、学生の目を通して見る、交流が本当に残したもの
交流後の振り返りや共有は、学びの重要な足跡である。中学生、高校生、大学生を問わず、私たちは学生たちの変化を見ることができた。
ある交流に参加した中学生は、振り返りの中で次のように話していた。「最初は、防災というのは、地震が起きたら防災訓練をすることだと思っていた。でも日本に行ってみて、みんなが本当に真剣に防災に取り組んでいることが分かった。津波の避難体験をして、日本の防災に対する真剣さを感じた。」また、日本の学生との交流を通して、自分が表現できる言葉で相手と交流することの大切さを実感した学生もいた。さらに、日本の学生たちが自分の暮らしている地域をよく知っている姿を見て、「自分の故郷にはどのような特色があるのだろう」と考えるようになった。こうした答えは、必ずしも「レジリエンス」や「防災」といった言葉を直接使っているわけではない。しかし、子どもたちがすでに防災を地域の暮らしと結びつけて考え始めていることを示している。別の学生は、海外に行ったからこそ、ゆっくりと立ち止まる時間ができ、街のきれいさや建物の美しさを感じることができた。そして台湾に戻って初めて、自分の故郷もこんなに美しかったのだと気づいたという。国際交流とは、単に「どの国がより進んでいるのか」「どの国がすごいのか」を比較するためのものではない。本当の学びとは、他者を見ることによって、もう一度、自分自身を知り直すことなのだと思う。
現在の台湾の子どもたちにとって、921地震はすでに歴史である。一方、高知の学生たちにとって、南海トラフ巨大地震は、まだ起きていない未来の災害である。両地域の学生たちは、似たような難しさに向き合っている。「自分自身が経験したことのない災害を、どのように理解するのか?」単に知識を増やすだけでは十分ではないかもしれない。しかし、子どもたちが地域に入り、別の地域の学生たちと出会い、相手が自分の暮らしやリスクについてどのように語っているのかを聞くことで、災害はもはや遠い場所にある抽象的な言葉ではなくなる。
大学生の成長は、また別の道筋に現れていた。2026年にSpring Schoolに参加した学生たちは、須崎でフィールドワークを行った後、地域住民の意見を取り入れながら、将来の図書館で使用する防災ゲームをデザインした。彼らにとって最も難しかったのは、ゲームのルールを考えることではなかった。インタビューを通して聞いた地域の経験を、どのようにデザインの中に取り入れるかということだった。「ゲームとして楽しめること」と「地域の課題を単純化しすぎないこと」の間で、彼らは何度も調整を重ねた。台湾に戻った後、学生たちはこの経験を同年6月の「菲常防災」読書会へと持ち帰り、「高知から始める:防災もゲームとしてデザインできる?」というテーマで、フィールドワーク、ゲーム開発、そして交流の過程で考えたことを発表した。地域に入り、住民の声に耳を傾け、そして自分たちの経験を他者に伝えるために前に立つ。その過程を通して、学生たちは少しずつ理解していった。防災ゲームとは、単に人々に「正しい答え」を覚えてもらうためのものではない。それは、異なる立場、選択、そしてリスクに対する理解を言葉にし、互いに議論することのできる空間をつくるものなのだ。このような学びの軌跡は、私が提案してきた考え方――「まず内側の人になり、次に外側の人になり、最後に自分にできることをする」――とも重なっている。

圖:圖4、2026 Spring school參與師生合影
圖:図4 2026年Spring School参加者による集合写真

六、從活動成果到關係成果:關係也是防災的基礎設施
計畫與交流,常以活動場次、參與人數、問卷結果與學生作品呈現成果。這些資料當然重要,但這兩年的交流,也讓我看見另一種比較慢、不容易被量化的成果:活動結束後,學生還願不願意回來分享?老師是否願意討論下一次合作?地方夥伴是否願意延續這些夥伴關係?這些事情不容易放進統計表,卻會決定下一次行動是否必須重新從零開始。
2024的開始,並沒有一張合作藍圖。我們只是共同關心防災的議題,後來的Spring School、大學生交流、兩次國中生交流、「大手牽小手」、高中生來埔里與讀書會,都不是按計畫逐項發生,而是在信任累積之後,由一次行動帶出下次行動。活動成果回答的是:我們完成了什麼。關係成果回答的則是:事情結束以後,還有誰願意繼續走下去。
從這個角度來看,大學在地方實踐與國際交流中,不只是提供研究與資源,也在創造相遇、協助轉譯,並支持關係延續。這裡的轉譯,不只是中文、日文或英文之間的翻譯,也是在不同國家、世代、學校體制與地方經驗之間,協助彼此理解。人類學的參與觀察,不是把兩個地方放在一起排名,而是透過他者重新看見自己。日本保存災害經驗的方式,使我重新思考臺灣如何讓記憶進入日常;臺灣在災害之後迅速形成的互助,也讓我們看見另一種社會連結的力量。
談到防災時,首先會想到設備或避難處所,這些是不可少的基礎設施。但一個地方在災害來臨是是否能有所作為,也考驗著彼此是否信任、是否曾經合作、需要時知不知道可以找誰。這些關係平時不一定看得見,卻像一條條隱形的道路,使資訊、資源與照顧可以流動。須崎漁夫的對話提醒我,安全不能只從外部定義;學生的眼睛提醒我,真正的學習不一定按老師預先設定的方向發生;伊藤師與我的相遇則提醒我,許多重要的實踐,不是從一份完美的計畫書開始,而是從兩個人願意坐下來,好好談一談開始。
當關係從教師延伸到學生,從大學延伸到中學,從臺灣延伸到高知,它承載的就不再只是一場國際交流,而是一種共同面對未來災害的能力。
關係不是防災實踐旁邊附加的溫暖故事,也不是活動結束後留下的額外成果。關係本身,就是防災的基礎設施。

六、活動の成果から「関係の成果」へ:関係も防災のインフラである
計画や交流の成果は、しばしば活動回数、参加人数、アンケート結果、学生たちの作品などによって示される。もちろん、こうしたデータは重要である。しかし、この二年間の交流を通して、私はもう一つの、よりゆっくりと進み、数値化することが難しい成果にも気づいた。活動が終わった後も、学生たちはもう一度戻ってきて経験を共有しようと思うだろうか。教師たちは次の協働について話し合おうと思うだろうか。地域のパートナーたちは、この関係をこれからも続けていこうと思うだろうか。こうしたことは、統計表の中に簡単には入らない。しかし、それこそが、次の活動を再びゼロから始めなければならないのか、それともこれまでの積み重ねの上に続けていけるのかを決めるのである。
2024年の始まりに、私たちの間には一枚の「協働の設計図」など存在しなかった。ただ、防災という課題に共通の関心を持っていた。その後のSpring School、大学生の交流、二度にわたる中学生の交流、「大手牽小手」、高校生の埔里訪問、そして読書会――これらは、最初から計画表に沿って一つずつ実施されたものではない。一つの行動が次の行動を生み、信頼の積み重ねが、さらに次の協働へとつながっていったのである。活動の成果が答えるのは、「私たちは何を成し遂げたのか」という問いである。一方、関係の成果が答えるのは、「活動が終わった後も、誰がこの先を一緒に歩いてくれるのか」という問いである。
この視点から考えると、大学は地域実践や国際交流において、研究や資源を提供するだけの存在ではない。人と人との出会いを生み出し、互いの間をつなぎ、そして関係が続いていくことを支える役割も担っている。ここでいう「翻訳」とは、中国語、日本語、英語といった言語の間の翻訳だけではない。異なる国、世代、学校制度、そして地域の経験の間で、互いを理解するための橋渡しをすることでもある。人類学の参与観察とは、二つの地域を並べて順位をつけることではない。他者を通して、自分自身をもう一度見つめ直すことである。日本における災害経験の保存や継承の方法は、台湾において、どのように記憶を日常の中へとつないでいくことができるのかを、私に改めて考えさせてくれた。一方、台湾で災害後に迅速に形成される助け合いの力は、社会的なつながりが持つ、もう一つの力を私たちに見せてくれる。
防災について考えるとき、まず思い浮かぶのは、防災設備や避難場所である。これらは欠かすことのできない基礎インフラである。しかし、災害が起きたとき、その地域が実際に行動できるかどうかは、互いに信頼関係があるか、これまでに一緒に何かをしてきたか、そして困ったときに誰に助けを求めればよいのかを知っているかどうかにもかかっている。こうした関係は、平常時には必ずしも目に見えるものではない。しかし、それはまるで一本一本の見えない道路のように、情報や資源、そしてケアを流通させる。須崎の漁師との対話は、私に「安全は外側から一方的に定義することはできない」と教えてくれた。学生たちのまなざしは、「本当の学びは、教師があらかじめ設定した方向にだけ進むものではない」と教えてくれた。そして伊藤先生との出会いは、「多くの重要な実践は、完璧な計画書から始まるのではなく、二人の人間がまず座り、互いにしっかりと話をすることから始まる」のだと教えてくれた。
関係が教師から学生へ、大学から中学校へ、そして台湾から高知へと広がっていくとき、そこに支えられているのは、もはや一つの国際交流だけではない。それは、未来の災害にともに向き合うための、一つの力なのである。
関係は、防災実践の傍らに添えられた温かな物語ではない。また、活動が終わった後に残る「おまけ」の成果でもない。関係そのものが、防災の基礎インフラなのである。

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