從居民參與型藝術造鎮到居民參與型入境觀光(Citizen Participation based Inbound Tourism):津奈木俱樂部與高雄小馬棒球俱樂部交流記錄
藝術小鎮的形成
津奈木町位於熊本縣南部,毗鄰水俣市,是一個總面積約33.98平方公里、人口約4500人的小鎮。其北東南三面被郊山環繞,西側則面臨被譽為「日本地中海」的不知火海,因此,町內六成地形多為山林緩坡,開闢為梯田栽種甘夏蜜柑和不知火柑等柑橘類作物,沿海部分則以不知火海的豐饒漁產聞名,也發展出頗具規模的鯛魚、河豚和比目魚養殖業。
然而,擁有豐富山海資源的津奈木町,曾經是水俣市窒素工廠排放工業廢水所導致的水俣病受災地區之一,不僅居民因公害而飽受身體與心靈的摧殘,地方形象也因此長期蒙塵。由於擔憂污名所帶來的社會歧視,水俣病成為許多居民在漫長的歲月裡隱晦不談的傷痕。為了治癒創傷並提升地方形象,津奈木町自1984年起推動「以綠意與雕刻造鎮」計劃,首先購買雕刻作品置放於町內公共空間或橋梁等交通要道,接著逐步推動成立津奈木美術館,要將整個小鎮打造成一座開放式的美術館,透過藝術的力量來修復水俣病帶來的創痛,並共同描繪未來願景。
這種購置所費不貲又難以立即產生經濟效益的藝術作品來重振公害受災地區的做法,在四十年前的當時還難以被理解,導致計畫一開始飽受抨擊,特別是最初設置的幾件裸體雕塑,據說讓純樸的居民感到「很害羞」,白天不敢看,只能等晚上趁著夜色偷偷跑來觀賞。然而,這些作品成功引起話題,吸引到媒體報導和外地藝術愛好者前來探訪,從而翻轉了津奈木的形象。如今,散佈在津奈木町的雕刻作品共有16件,已成為當地的象徵與日常風景,而2001年開館的津奈木美術館也已成為水俣・芦北地區的藝文中心。
津奈木美術館由津奈木町歷任町長擔任館長,專職的主幹學藝員楠本智郎則是負責企劃與管理的核心人物。開館三年後,楠本發現館內辦理的現代美展雖然吸引到外地遊客,增加了津奈木的交流人口,但本地居民的參訪次數卻不高,除非是在地人辦展,才會有居民來參加。為了讓美術館更融入當地居民的日常生活,他於2008年開始推動「居民參與型現代美術計畫」,後更名為「居民參與型藝術計劃」,邀請居民擔任執行委員,與藝術家共同策劃與實施藝術活動,並在過程中活用和再評估地方資源、對應在地課題。該計畫與「津奈木駐村藝術家計畫」相輔相成,催生了多個以美術表現為核心,結合當地歷史、文化、自然與在地課題的知名作品,如「赤崎週三郵局」、「石靈之森」、「海渡」、「入魂之宿」等。而貫串其間的理念,不只是透過藝術活動創造各種人與人、人與地的「連結」(つなぎ),更是重新回顧水俣病歷史及水俣病爆發前生活樣貌等在地潛藏記憶的契機,幫助居民在參與過程中撫平傷痕,找回對家鄉的驕傲與認同感。
アートの町づくり
津奈木町は熊本県南部に位置し、水俣市に隣接している、総面積33.98平方㎞、人口約4500人の小さな町である。東南北の三方を山に囲まれ、西側は「日本の地中海」の誉れ高い不知火海に臨む。このため、町の6割は山林や傾斜地となっており、棚田に夏みかんや不知火みかんなどの柑橘類を栽培している。沿海部は、不知火海の豊かな水産資源で知られ、タイ、フグ、ヒラメの養殖が盛んである。
しかし、豊かな山海の資源を有する津奈木町は、かつて、水俣市のチッソ工場が排出した工業廃水による水俣病で健康被害を受けた地域の1つである。住民が公害によって心身に深刻な影響を被っただけでなく、地域のイメージは長期にわたって低下した。汚名を被ったことによってもたらされた社会的差別を憂慮して、数多くの住民にとって水俣病は長年にわたって隠し続けてた傷跡となった。傷跡を修復し、地域に対するイメージを向上させるため、津奈木町は1984年から「緑と彫刻のある町づくり」を推進している。まず、彫刻作品を購入して町内の公共空間や橋梁などの交通の要衝に設置した。続いて、つなぎ美術館の整備に向けた取り組みを徐々に進め、町全域をひとつの開放型の美術館とし、アートのエネルギーを通じて、水俣病がもたらした傷跡を修復し、未来へのビジョンを共同で描いていった。
高価で、すぐに経済効果を生み出すことが難しい芸術作品で公害の被害地域を再建するこうした方法は、40年前のその当時は、まだ理解されにくく、プロジェクトを開始した当初は批判を受けた。とりわけ、裸体をモチーフにした何点かの彫塑は、初期のころは、純朴な住民から「恥ずかしい」と思われ、昼間は目を向けることができず、夜になってこっそりと鑑賞に来るということもあったという。しかし、これらの作品は話題を集めることに成功した。メディアによる報道を呼び、ほかの地域の芸術愛好家が訪ねてくるようになり、津奈木のイメージチェンジにつながった。現在、津奈木町に設置されている彫刻作品は計16点で、地元の象徴となり、また、日常の風景となっている。また、2001年に開館したつなぎ美術館も、すでに水俣・芦北地区のアートとカルチャーの中心となっている。
つなぎ美術館は歴代の津奈木町長が館長を務めている。専任の主幹・学芸員である楠本智郎氏が企画と管理を担当する中心的な人物である。開館から3年後、楠本氏は、館内で現代美術展を開催した際、ほかの地域の行楽客の関心を集め、津奈木の交流人口は増加したものの、地元住民の参加延べ人数は多くなく、地元の住民は地元の人が展示会を開いてようやく参観に訪れるということに気付いた。そこで、地元住民の日常生活に美術館をより融け込ませようと、2008年に「住民参画型現代アート計画」の推進を始めた。これは、のちに「住民参画型アートプロジェクト」と名称を改め、住民を執行委員に招聘し、アーティストと共同で芸術活動を企画・実施した。そのなかで、地元資源の活用と再評価を行い、地元の課題に対応した。このプロジェクトは「アーティスト・イン・レジデンスつなぎ」と相俟って、「赤崎水曜日郵便局」、「石霊の森」、「海渡り」、「入魂の宿」など、美術的な表現をコアとし、地元の歴史や文化、自然、地元の課題と結び付いた著名な作品を生み出した。その間を貫く理念とは、芸術活動を通じて、人と人、人と土地の間にさまざまな「つなぎ」を創出することだが、そればかりでない。こうした芸術活動が水俣病の歴史や水俣病が猛威を振るう前の生活の姿など、地域の潜在的な記憶を呼び覚ますきっかけとなり、住民がその参画過程において傷跡をいやし、ふるさとに対する誇りとアイデンティティを取り戻すのを後押しするというものである。
此外,美術館和町公所之間的良好合作也是藝術計畫成功的關鍵,居民、藝術家、美術館學藝員和公所職員共同打造出町內各個具有魅力的文化空間,並讓這些空間能夠持續發揮「連結」的效益。津奈木町政策企劃課濱田真大負責協助美術館相關專案的推動,他表示,雖然居民參與型藝術計畫和藝術家駐村計畫需要長時間才能見效,不時還是會面臨質疑,但當外界問起津奈木町的特點時,居民會自豪地回答:「我們是藝術小鎮!」顯示藝術計畫已根植在居民心中。
現年79歲的石田ミサ子自2008年即開始參與「居民參與型藝術計劃」,是該計畫的元老級居民委員。她原本對藝術興趣不大,只是為了協助在地活化而加入,但在過程中逐漸被藝術的魅力吸引,看著一件件作品在大家的共同努力下實現,她一次又一次地受到感動,也很喜歡藝術活動引發的各種新的人際關係。現在,石田女士是最積極宣傳、協助活動策劃與執行的居民之一,也熱心向外地訪客介紹津奈木的在地文化。2023年6月,由國科會HISP計畫辦公室規劃的「日本九州南部地方創生考察之旅」一行訪問津奈木美術館時,就由石田女士擔任接待來自台灣的學者們。
このほか、美術館と町役場との良好な協力もアートプロジェクト成功のカギである。住民、アーティスト、美術館の学芸員、役場職員が共同で、町内にそれぞれ魅力ある文化的な空間を作り出し、それとともに、これらの空間が「つなぎ」の効果を持続的に発揮できるようにしている。津奈木町政策企画課の濱田真大氏は、美術館支援関連プロジェクトの推進を担当している。濱田氏は「住民参画型アートプロジェクトとアーティスト・イン・レジデンスつなぎは、効果が見えてくるまでに長い時間を要するため、やはりたびたび疑問をぶつけられました。しかし、町外から津奈木町の特徴を問われると町の人びとは『私たちの町は、アートの町です』と誇りをもって答えています。これは、アートプロジェクトが住民の心の中に根を張ったことを示しています」と話す。
今年79歳の石田ミサ子氏は、2008年から「住民参画型アートプロジェクト」に参画している、ベテランの住民委員である。もともとアートに対する関心はそれほどでもなく、ただ、地域活性化を手伝うつもりで参加しただけだった。しかし、活動のプロセスの中でアートの魅力に引き寄せられ、作品のひとつひとつが、多くの人たちが共に努力することによって完成するのを見るたびに感動し、そしてm芸術活動が引き起こすさまざまな新しい人間関係も好みに合っていた。現在、石田氏は活動の計画や実施について、最も積極的にPRし、最も積極的に支援を行う住民のひとりであり、ほかの地域からの来訪者に津奈木の地元文化を熱心に紹介してもいる。2023年6月に、台湾の国科会(HISP)プロジェクト事務局が企画した「九州南部地方創生研修の旅」の一行がつなぎ美術館を訪ねた際には、石田氏が台湾からの学者たちの対応を担当した。
不只是藝術
藝術造鎮不僅增強了居民的自豪感,也為地方帶來了國內外的關注。儘管居民參與型藝術計畫主要作為津奈木美術館社會教育的一環,旨在讓當地居民透過藝術獲得新的體驗,而非針對觀光,但這些行動確實也激發了觀光潛能。因此,濱田真大等公所職員開始思索如何結合藝術與觀光,發展出更具深度且富有意義的體驗行程。2022年起,津奈木町與標榜九州在地傳統工藝、文化地景與美食體驗的觀光經營公司UNA Laboratories合作,推出「達佛的佛像雕刻工作坊」、「和駐村藝術家一起描繪津奈木的山海城鎮」等結合藝術計畫的觀光行程。2023年更促成台灣HISP計畫一行的參訪。同年10月進一步結合「津奈木FARM」農業計畫,規劃「津奈木町踩線旅行」,邀請台灣投入地方創生的團隊和參與USR計畫的大學教師到津奈木町參與融合藝術與自然農業的行程測試,取得回饋及研擬未來合作的可能性。12月推出「在藝術小鎮快樂的學習——柑橘講座」等遊程,讓遊客在藝術氛圍中體驗津奈木町的「環境共生型農業」。
「津奈木FARM」計畫是津奈木藝術計畫之外另一個在地品牌,同樣源自對水俣病教訓的深刻反思,力求極力減少使用可能汙染水源的化肥與農藥,改以植物自身的荷爾蒙(植物激素)特性,透過調整生長環境來促進作物適應自然變化並健康生長。例如,運用「整枝修剪」(切り上げ剪定)技術培育出飽滿且糖度高的柑橘果實,或是在田裡鋪設稻桿以抑制雜草生長、埋入牡蠣殼來引導水流等方法,都是「津奈木FARM」的代表性農業技術與策略。「津奈木FARM」合作農家的農產和加工品會在美術館旁的「津奈木百貨堂」展示和販售。
「津奈木町踩線旅行」為三天兩夜的行程,除了造訪美術館、至舊赤崎小學欣賞「海渡」及「入魂之宿」等作品之外,還包括參訪「津奈木FARM」有機農家,並到津奈木町唯一獲得JAS認證的WARAKU農園採收有機蔬菜。在農園主人山﨑幸治和地域振興協力隊濱田夫婦的協助下,來自台灣的訪客們用有機蔬菜和在地食品製作窯烤披薩。石田ミサ子也參加了這次活動,她帶來當地婦女會用新米製作的飯糰、米團味增湯(だこ汁)、玉子燒和蔬菜天婦羅等,讓台灣訪客與在地居民、町職員、町議員,以及UNA Labs負責此次行程的櫻井愛、蔡奕屏等人一同享用熊本鄉土料理。津奈木町緊密的人際關係和快速靈巧的動員令人印象深刻。席間,筆者與大家討論帶中山大學學生到津奈木服務學習事宜,突然聊到濱田真大過去曾是棒球少年,現在也協助訓練社區棒球隊津奈木俱樂部,因此筆者突發奇想提出2024年夏天帶高雄的社區棒球隊到津奈木交流的想法,這是在場眾人都沒有嘗試過的交流型態,但竟然都毫無猶豫地即刻表示支持,於是開始各司其職著手進行。
アートだけではなく
アートの町づくりは住民の誇りを高めただけでなく、地域への関心を国内外から集めることになった。住民参画型アートプロジェクトは主として、つなぎ美術館による社会教育の一環として、地元の住民が芸術を通じて新たな体験を獲得することを旨としており、観光に関するものではない。しかし、これらのアクションは観光に関する潜在的なエネルギーを間違いなく刺激した。このため、濱田真大氏ら町役場職員は、アートと観光をどのように結び付けるかについて考え始め、深く、かつ、豊かな意義を有する体験ルートへと発展させた。2022年から、津奈木町は、九州において地元の伝統工芸やカルチャーシーン、グルメ体験の取り扱いを標榜する旅行会社UNAラボラトリーズと協力し、「達仏の仏像彫刻ワークショップ」、「レジデントアーティストと描く津奈木の山・海・街」などアートプロジェクトと連携した観光ルートを打ち出している。2023年には、台湾のHISPプロジェクト一行の訪問につながった。同年10月にはさらに、農業プロジェクトの「つなぎFARM」と連携し、「津奈木町モニターツアー」を企画し、台湾から、地方創生に取り組む団体とUSR計画に参画する大学の教員を津奈木町に招請し、アートと自然農業が融合したツアーをテストし、フィードバックを得るとともに、将来的な協力の可能性について検討した。12月には「アートの町で楽しく学ぶ 丸田良友さんの柑橘講座」などのツアーをリリースし、行楽客がアートの雰囲気の中で津奈木町の「環境共生型農業」を体験できるようにした。
「つなぎFARM」は、津奈木の「アートプロジェクト」のもうひとつの地元ブランドであり、やはり、水俣病の教訓に対する深い反省からのものである。水源の汚染につながりうる化学肥料と農薬の使用を極力低減することにより、植物自身が持つホルモン(植物ホルモン)の特性によって改善を図り、生育環境の調整を通じて作物が自然に適応して変化し、健康的に育つように促進する。たとえば「切り上げ剪定」の技術を使うことで、糖度の高いミカンを多数実らせる方法や、圃場に敷きわらをして雑草の生育を抑制し、牡蠣殻をすき込んで水流を制御する方法は、いずれも、「つなぎFARM」の代表的な農業技術と戦略である。「つなぎFARM」の協力農家による農産品と農産加工品は、美術館のそばにある「つなぎ百貨堂」で展示・販売している。
「津奈木町モニターツアー」は2泊3日の日程で行われた。美術館を訪問し、旧赤崎小学校で「海渡り」と「入魂の宿」などの作品を鑑賞したほか、「つなぎFARM」の有機農家を訪れるとともに、津奈木町で唯一JAS認證を得ている「わらく農園」で有機野菜の収穫を行った。台湾からの訪問客は、農園主の山﨑幸治氏と地域おこし協力隊の濱田夫妻の協力のもと、有機野菜と地元の食材で窯焼きピザを作った。石田ミサ子氏も今回の活動に参加し、地元の婦人会が新米でつくったおにぎりと、米粉の団子をみそ仕立てで食べる「だこ汁」、玉子焼き、野菜てんぷらなどを持参し、台湾からの訪問客と地元住民、町役場の職員、町議会議員、UNAラボラトリーズで今回のツアーを担当した桜井愛氏、蔡奕屏氏がともに熊本の郷土料理を味わった。津奈木町の密接な人間関係とスピーディーな手際の良さが強く印象に残った。この席上、筆者は集まった人たちと、中山大学の学生が津奈木で行う学習について話し合った。その際、ふと濱田真大氏がかつては野球少年であり、現在は地域の野球チームである津奈木クラブのコーチをしているということが話題にのぼった。そこで、筆者はとっさに、2024年の夏、高雄の野球チームと津奈木のチームを交流させるというアイデアを思いついて提案した。これは、その場にいた人たちのだれもが試みたことのない交流スタイルだったが、全員が迷うことなくすぐに賛成し、それぞれの立場で実行に向けて準備に取り掛かった。
多元參與者共創的「藝術X農業X棒球」行程
筆者回台後,媒合高雄市小馬親子棒球俱樂部,最後招募到七個家庭共計24人參加,其中包含十名小選手,年齡從幼稚園大班到國中一年級不等。津奈木町政策企畫部濱田真大負責協調津奈木俱樂部、安排賽事、整備環境和邀請居民參與,並申請國際交流和教育旅行踩點的經費作為支援。UNA Labs則協助安排住宿、交通,以及藝術和農業體驗活動,這也是他們第一次接待親子團。規劃過程中,筆者和擔任小馬棒球隊訪日團代表兼教練的筆者丈夫、濱田真大、UNA Labs櫻井愛持續透過線上會議進行多方溝通,確認彼此需求並調整行程,最終促成這次行程。整個過程可以說是在符合津奈木町一貫促進居民參與、創造人際連結的地方經營理念下,多元參與者串連資源共同設計出來的國際交流行程。
小馬棒球隊於2024年7月5日至7日造訪津奈木町,七個家庭都有豐富的日本旅遊經驗,但都是第一次到津奈木,過去甚至沒聽說過這個地方。一行人第一站造訪WARAKU農園,山﨑幸治用日式剉冰款待孩子們,接著帶領大家到溫室採摘無農藥的當季蔬菜。孩子們一邊摘一邊品嘗,連平常不喜歡的青椒也受到讚賞。隨後,他們一起製作了窯烤披薩。石田ミサ子也沒有錯過這次活動,她帶來了婦女會精心準備的鄉土美食,特製冷湯更是讓人一碗接一碗。她很開心自己又再一次見證了從空想到付諸實現的過程,用日語唱「如果你很開心你就拍拍手」來表達喜悅,台灣的孩子們也用中文再唱一遍。雖然語言不通,但透過美食和音樂,雙方產生了心靈共鳴。因為蔬菜和披薩實在太好吃,孩子們紛紛向山崎先生索取簽名。
さまざまな人たちが参画して共創する「アート×農業×野球」ツアー
筆者は台湾に戻った後、高雄市の少年野球チーム「ポニー」と協議し、最終的に7家族計24人が応募して参加することになった。これには10人のちびっこ選手が含まれ、年齢は幼稚園の年長から中学1年までとさまざまだった。津奈木町政策企画部の濱田真大氏は津奈木クラブとの調整、試合の手配、環境の整備、住民への参加の呼びかけを担当し、国際交流と教育旅行モニターツアーの支援についての申請を行った。UNAラボラトリーズは、宿泊、交通、アートと農業の体験活動の手配を支援した。これは、UNAラボラトリーズにとっても初めて親子の団体を受け入れるケースだった。企画を進める過程で、筆者と、少年野球チーム「ポニー」訪日団代表兼コーチである筆者の夫、濱田真大氏、UNAラボラトリーズの桜井愛氏がオンライン会議を通じて継続的に多方面のコミュニケーションを図り、互いの要望を確認し、スケジュールの調整を行った結果、最終的に今回のものが実現した。プロセス全体を通じていえることは、住民参画の促進と人と人のつながりを生み出すという津奈木町の一貫した地域運営理念に適合したものとなり、多様な参加者がリソースを結び付け、共同で国際交流の旅をデザインした。
少年野球チーム「ポニー」は2024年7月5日から7日まで津奈木町を訪問した。7家族はいずれも、なんども日本へ旅行で来たことがあるが、津奈木訪問は初めてで、実はこれまでこの地域のことを聞いたことさえなかった。一行は、最初にわらく農園を訪問した。山﨑幸治氏は日本のかき氷で子どもたちを歓迎したあと、一行を温室に案内し、無農薬栽培の季節の野菜を収穫してもらった。子どもたちは野菜を採ったり食べたりしながら、いつもは嫌いなピーマンでさえ美味しく味わった。続いて、一緒に窯焼きピザを作った。石田ミサ子氏ももちろん今回のイベントに参加しており、婦人会が心を込めて用意した郷土のグルメを持参した。特製の冷たいスープはなんどもおかわりするほどだった。石田氏は、自分の頭で考えていたことが現実のものとなる過程をあらためて目にし、日本語で「幸せなら手をたたこう」を歌って喜びを表し、続いて台湾の子どもたちも「幸せなら手をたたこう」を中国語で歌った。言葉は通じないが、食と音楽を通じて、両者は心で共鳴した。野菜とピザは実においしく、子どもたちはそれぞれ山﨑氏からサインをもらった。
下午參訪津奈木美術館,並搭乘單軌列車到舞鶴城公園,登上日本奇岩百景之一的重盤岩,俯瞰整個津奈木町的美景,然後驅車前往參觀「石靈之森」、「達佛」、「入魂之宿」等戶外藝術作品。「石靈之森」常設在津奈木町公所旁的銀杏林中。這片臨海的銀杏林過去規劃為公園,但利用率不高,藝術家柳幸典運用閒置的百餘塊大石,將其中幾塊剖開,將採集來的當地居民的肉聲藏置其中,有水俣病患者的自述、當地傳承200年的「平國六方踊」樂聲,以及居民朗讀石牟礼道子有關水俣病詩歌的聲音,形成獨特的藝術裝置。各種低語肉聲從石間流出,穿梭在樹林之間,孩子們雖不懂日語,但貼緊石頭一塊一塊地仔細聆聽。對於孩子們自然而然地用整個身體去感受藝術作品的真情流露,也讓筆者深受感動。
午後は、つなぎ美術館を訪れるとともに、モノレールで舞鶴城公園を訪問し、日本の奇岩百景の1つである重盤岩に登り、津奈木町全体を見渡す美しい景色を眺めた。その後、車で「石霊の森」、「達仏」、「入魂の宿」の屋外アート作品を訪ねて鑑賞した。「石霊の森」は津奈木町役場の近くにあるイチョウの森の中に常設されている。海を臨むこのイチョウの森ではかつては公園が計画されたが、利用率が低く、アーティストの柳幸典氏は遊休化していた百余りの石を活用することにした。石のうちのいくつかを割り、地元住民の肉声を集め石から聞こえるように設置した。水俣病患者の語りや200年にわたって地元で歌い継がれる「平国六方踊り」の音声、地元の人が朗読する石牟礼道子の水俣病に関する詩の音声などが収録され、独特のインスタレーション・アートを形成している。それぞれの肉声のささやきは、石の間から聞こえ、木々の間を行き交う。子どもたちは、日本語は分からないものの、石に一つ一つ近付いてじっと耳を傾けていた。子どもたちが知らず知らずに体全体で芸術作品を受け取ろうとする自然な感情の発露に、筆者も強く心を動かされた。
石靈之森
藝術之後是美酒,來到百年老舖亀萬酒造,進行家長們最期待的清酒品味之旅。第三代傳人竹田珍一親自導覽,首次向遊客開放酒藏內部,介紹如何在溫暖的九州利用釀酒冰法製作清酒的過程。第一天的行程就在大人們流連忘返於各種釀造酒、吟釀酒風味,孩子們在溫泉中討論戰術的熱烈氛圍中畫下句點。
石霊の森
藝術之後是美酒,來到百年老舖亀萬酒造,進行家長們最期待的清酒品味之旅。第三代傳人竹田珍一親自導覽,首次向遊客開放酒藏內部,介紹如何在溫暖的九州利用釀酒冰法製作清酒的過程。第一天的行程就在大人們流連忘返於各種釀造酒、吟釀酒風味,孩子們在溫泉中討論戰術的熱烈氛圍中畫下句點。
アートの後は美味しいお酒というわけで、百年の歴史を持つ老舗、亀萬酒造を訪ねた。保護者たちが一番楽しみにしていた清酒を味わう旅である。3代目の竹田珠一氏が自ら案内し、一行に酒蔵の内部を開放し、温暖な九州地方で、氷を使った醸造方法での酒造りのプロセスを紹介した。初日、大人たちは各種の醸造酒や吟醸酒の風味を楽しみ、子どもたちは温泉で野球の戦術を話し合い、にぎやかに終了した。
亀萬酒造參訪
第二天,在37度的高溫下,小馬棒球隊與津奈木俱樂部在町綜合運動公園進行了兩場友誼賽。津奈木公所準備了帳篷、大風扇、冰毛巾和冷飲來應對炎熱的天氣。竹田珍一先生帶著孫女來觀賽,來自加州和南非的兩位外籍英語教師也來助威。上午的比賽中,地主隊津奈木俱樂部以11比1大勝小馬隊。中午,由石田ミサ子再次領軍婦女會貢獻好手藝,津奈木的孩子們協助上菜,主動與高雄小馬的孩子們交流。小馬隊選手們則表演台鋼應援歌曲來答謝,完全不見比賽的疲累。下午的比賽一開始,小馬隊氣勢如虹連續得分,但最終仍以9:7惜敗。晚上,雙方成員聚在一起烤肉暢聊,彷彿多年好友,最後體驗日本夏日的打西瓜遊戲,賓主盡歡,開心到忘記欣賞不知火海絕美的夕陽。
亀萬酒造訪問
2日目は、気温37度の暑さの中、少年野球チーム「ポニー」と津奈木の野球チームは町総合運動公園で交流試合を2試合行った。津奈木町役場は炎天下での試合に備えて、テント、大型扇風機、冷感タオル、冷たい飲み物を用意した。竹田珠一氏は孫娘を連れて観戦に訪れ、カリフォルニア出身と南アフリカ出身の英語教師2人も応援に訪れた。午前中の試合では、地元チームの津奈木クラブが11対1で小馬チームに大勝した。お昼には、石田ミサ子氏がふたたび婦人会とともに訪れ食事の腕前を披露した。津奈木の子どもたちは配膳を手伝い、積極的に高雄小馬の子どもたちと交流した。「ポニー」の選手たちは、台鋼ホークスの応援歌を披露して感謝の気持ちを表し、試合の疲れはまったく見えなかった。午後の試合では、始まるとすぐに、「ポニー」チームは勢いよく連続得点を奪ったが、最後は9:7で惜敗した。夜は、双方のメンバーが楽しく焼肉を囲み、最後は、日本の夏ならではのスイカ割りを体験し、主客を問わずにともに楽しんだ。あまりの楽しさに、不知火海の美しい夕陽を見逃してしまうほどだった。
烤肉大會
第三天,津奈木俱樂部租了兩台遊覽車,與小馬棒球隊一同前往福岡巨蛋觀看福岡軟銀對東北樂天的比賽。這是福岡軟銀三連戰的最後一戰,前兩戰已吞下二連敗,所以觀賽氣氛格外緊張。熱愛棒球的孩子們雖然語言不通,但一起為軟銀加油,最後軟銀戲劇性逆轉勝利,孩子們歡呼慶賀,增進了彼此的友誼。大家都說,「這是一生忘不了的回憶。」這次的棒球和國際交流在福岡巨蛋依依不捨的道別中畫上句點。「下次什麼時候再安排來?」小馬隊的家長們已經在計劃下一次的交流,他們表示這是他們日本旅遊經驗中「最好玩的一次」,因為「竟然可以這樣深入地跟當地人交流」。
焼肉大会
3日目は、津奈木少年野球チームは観光バス2台をチャーターし、「ポニー」チームとともに福岡ドームへ福岡ソフトバンクホークス対東北楽天イーグルスの試合を観戦しにいった。これは3連戦のうちの最終戦で、ソフトバンクは前の2試合で連敗していたため、観戦ムードはとりわけピリピリしていた。野球が大好きな子どもたちは、言葉は通じないが、一緒にソフトバンクを応援し、ソフトバンクが劇的な逆転勝利を収めて幕切れとなると、子どもたちは歓声を上げ、互いの友情が深まった。みんなは「これは一生忘れられない思い出だ」と口々に言った。今回の野球交流と国際交流は、福岡ドームにおいて名残惜しさのなかで終了した。「次はいつにしますか」。「ポニー」チームの保護者たちはすでに次の交流を計画している。かれらは、これまでの日本旅行で、今回が「最も楽しかった」と言い、それは「思いがけず、こんなに深く地元の人と交流できたからだ」だからということだった。
因個人事務無法參加棒球交流活動的山﨑先生事後特地捎來訊息說:「這次的活動讓我們當地人也能夠與大家建立聯繫,成為我們心中永遠的記憶。非常感謝大家!看到大家玩得開心是最重要的。這次活動我們也有很多不足,但孩子們的反應總是讓我感到驚喜。」
地方主導居民參與型入境觀光的可能性
隨著疫情解封和日圓貶值,日本各地再次迎來大量海外遊客,過度旅遊和觀光公害的問題也隨之加劇。日本在疫情之前就已探索過度旅遊的解決方案,其中一個策略是開發不同於傳統觀光熱點的旅遊體驗,將遊客引導至內陸、深山和偏遠地區。例如,岐阜縣飛驒市古川町的「里山體驗」(SATOYAMA EXPERIENCE),讓遊客能夠融入當地生活;滋賀縣大津市則推出以琵琶湖西側地區「湖鄉人們的日常生活」為主題的農村生活文化體驗等,都是備受肯定的經典案例。這些案例強調居民參與,運用在地特有的自然、歷史、文化、產業、生活、景觀及地方故事等資源,推動地方主導的觀光(community-based tourism),社區共同打造能夠吸引遊客的內容並促成區域內循環共生的永續經營模式。
這次津奈木和高雄小馬隊的棒球交流,讓津奈木成為居民、多元關係人共同創造故事的舞台,可以視作「地方主導觀光」的雛型。這次交流不僅展現津奈木町居民之間既有的緊密聯繫,也可以觀察到他們與外部關係者之間開放且親密的互動關係。而公所在面對「從未有過的提案」時,能夠快速反應、積極組織,展現出接受新創意的彈性與活力,這或許源自於藝術計畫的長期累積成果,是津奈木出獨特魅力。
未來,期待津奈木的孩子們也能有機會來到高雄進行友誼賽。
個人的な用事で野球交流の活動に参加できなかった山﨑氏は、後から「今回の活動を通じて、私たち地元の住民は連携することができ、忘れられない思い出となった。みなさんに心から感謝したい。みなさんが活動を楽しんでいる様子を見ることが一番大事なことだった。今回の活動では、私たちには足りないところもたくさんあったが、子どもたちの反応に、私たちはいつも驚かされた」と、特にメッセージを寄せた。
地方が主導する住民参画型インバウンド観光の可能性
新型コロナ規制の解除と円安に伴い、日本各地に大勢の観光客が戻り、これに付随してオーバーツーリズム・観光公害の問題も強まっている。オーバーツーリズムに対する解決策の検討は、日本では新型コロナ前にすでに行われていたが、そのうちの1つの戦略は、従来の観光ポイントとは異なる旅行体験を開発し、内陸部や山間部、僻地に旅行客を誘導するというものである。たとえば、岐阜県飛騨市古川町のSATOYAMA EXPERIENCE(里山体験)は、ツーリストに地元の生活に融け込んでもらうというものであり、滋賀県大津市の場合は、「湖族の郷」をテーマとする農村生活文化体験を推進しており、いずれも評価を受けたスタンダードな事例である。これらの事例は、住民の参画を強調し、地域に特徴的な自然や歴史、文化、産業、暮らし、景観、土地の物語などの資源を活用するもので、地域主導型の観光(community-based tourism)を推進し、観光客を引き付けるコンテンツをコミュニティが共同で造成し、域内で循環・共生する持続可能な運営モデルを形成している。
今回の津奈木と高雄のポニーチームの野球交流により、津奈木は、住民やさまざまな関係者が物語を共同で創生する舞台となり、この交流は「地域主導型観光」のひな形と見做すことができる。今回の交流は、津奈木町の住民の間にあった既存の密接な関係を展開させただけではなく、外部の関係者の間には、オープンで、かつ、密接な相互関係を見てとることができた。また、町役場は「経験したことのない提案」に直面したとき、スピーディーに対応し、積極的に組織化を図り、新たな創意工夫を受け入れるフレキシビリティとバイタリティを発揮できたことは、あるいは、アートプロジェクトの長期的な蓄積に基づく成果であるかもしれず、津奈木に独特の魅力である。
今後は津奈木の子どもたちにも高雄を訪問してもらい、交流試合を行う機会が設けられることを期待したい。