看見真,看見善,看見美— 九州南部地方創生行腳與心得
2023年六月我們北、中、南三區幾所參與台日聯盟的USR計畫執行學校(包括臺灣海洋大學、濟南國際大學、高雄科技大學、以及中山大學),有幸受邀參與由NSTC人文及社會科學研究發展處蘇碩斌處長、HISP推動與協調計畫主持人陳東升特聘教授、及USR推動中心總主持人蘇玉龍榮譽教授所帶隊的日本九州南部地方創生考察行,為期八天的行程中,同行的師長本於從人文關懷及學術研究再創新的角度,深度探查了日本地方社會如何重新思考地方特色、連結經營地方社群、並進而發展具有永續價值的地方創生模式。
整體而言,這是一場看見真、看見由真轉化為善、並進而看見美好未來的身心靈饗宴。我們親歷實境地收集了日本南九州地區具有代表性的社會創新案例,包括循環溫泉地打造、公害災後藝術復興、保育園幼兒飲食教育、空屋再生、離島營造與漁業復興、設計加乘魚產加工業、陸域連結水域觀光、女性漁師振興、及傳統工藝現代化詮釋等例子。在參訪的過程中,我們五感體驗並用心體會,除了深度探討傳統文化與地方產業復振、地方政府組織動員、社會福利、及空間活化等議題外,更結交了南九州地方的許多好朋友,為未來進一步交流與合作奠基了持續發展的可能。
2023年6月、日台大学地方連盟及び社会実践連盟に参加している北部、中部、南部台湾3地区のUSR計画実施校(台湾海洋大学、済南国際大学、高雄科技大学、中山大学)は、NSTC人文・社会科学研究発展処の蘇碩斌処長、HISP推進・協調計画主幹の陳東升特聘教授、USR推進センター総幹事の蘇玉龍栄誉教授が引率する九州南部地方創生視察研修に参加する機会をいただいた。8日間の旅で、同行した教員たちは人文的な関心や学術研究のリ・イノベーションという視点から、日本の地方社会が地域の特色をどのように検討し直し、ローカルな社会集団との連携をどのように図り、そこから、永続的な価値を持つ地方創生モデルをどのように発展させたのかという点を深く探究した。
全体的にみて、これは、「真」を見、真が「善」に転じるところを見、そして、「美」しい未来を見るという心、身体、精神にとっての饗宴だった。私達は、循環型の温泉地の形成、公害後のアートによる復興、保育園で行われる乳幼児向けの食育、空き家の再生、離島の振興と漁業の復興、デザインと海産物加工の融合、陸域と水域をつなぐ観光、女性漁師による振興、伝統工芸の現代的な解釈などといった、南九州の代表的なソーシャルイノベーションの事例を直接実地で収集した。今回の訪問で、私たちは五感で体験し、心から理解した。伝統文化や地方産業の復興・振興や地方自治体による動員、社会福祉、空間の活性化などのテーマについて深く探究したほか、南九州の数多くの人々と交流を深め、今後さらに持続的な発展を可能にするための交流・協力の土台づくりを行った。
最初的「真」心轉化成「善」行
まず「真」の心で理解し、それを「善」の行いへと転じる
參訪過程中我們發現,日本地方創生人士對於地方社區轉變,均發自「真」心的關注永續性,並轉為實際「善」的行動。例如: 黑川溫泉觀光旅館協同組合北山元事務局長透過其行動指針-競創與共創,設計出入湯手形,讓沒有露天風呂的旅館有共享觀光發展的機會,並將販售手形所得經費用於公共發展事務上,共同推動植林、看板、雪車、雨傘,一起帶動地方經濟繁榮。這讓我們看見: 一個成功的社區觀光經營是團體的力量大於各自為陣,經過不停的會議與專家建議,而且第二代及第三代經營者不斷地求新求變,才能與時俱進,如今一個僅有三千多人口的鄉鎮,卻能夠走在時代前端,朝向SDGs為目標推動堆肥計畫、保林計畫,既福利了當地,也永續了環境。
訪問で私たちが目にしたのは、日本で地方創生に取り組む人たちがローカルなコミュニティの変化に対して「真」の心から永続性に関心を向け、それを、実際に「善」いアクションへと転じている姿だった。例えば、黒川温泉観光旅館協同組合の北山元事務局長は、「競創と共創」という行動指針を通して、入湯手形を考え出し、露天風呂のない旅館にも観光で発展する機会を設けている。手形販売の収益は公共的な発展のための経費に充て、植林、乱立看板の撤去、共同雪駄、共同傘を推進し、一致して地方経済を活性化させている。ここから分かるのは、コミュニティとして観光マネジメントに成功するのは、グループとしてのエネルギーが個々で実施するよりも大きいということであり、継続的なミーティングと専門家のアドバイスを通じて、また、2代目、3代目の経営者が新たなことや変化を追求し続けることで、時代の流れに乗っていくことができるということである。人口3000人余りの町でありながら、今では時代の先端を行っている。SDGsを目標として堆肥事業、山林整備を推進することにより、地域に利益をもたらし、環境を持続させている。
天空之城保育園所在地原本是書店,隨著時代轉移成為柏青哥店,客群改變,商店型態也改變,形成不好的循環,後來連帕青哥店也關門,變成共同吸菸區,人們不喜歡前來。園長古川里沙女士在開設幼兒園之前,和小朋友一起撿垃圾並且種花,把這個原本乏人問津的區域,打造成一塊乾淨美麗的地方。古川園長的目標理想是5年、10年、甚至20年後,長大後的孩子們可以再回到這個地方來享受安靜美好的空間,甚至繼承開店,共同打造一個好的循環。在里沙園長的堅持下,學校、家庭、社會教育互補,雖然面臨現今因家庭和社會教育弱化的問題,但在天空之城保育園所開設的社區,卻讓彼此連結更緊密,也找回了過往鄰居共同照顧小朋友的教育方式。
「そらのまちほいくえん」がある所はもともと書店だったが、時代の流れに伴ってパチンコ店となったことで、客層が変わり、商店の形態も変わるという悪循環が起きた。その後、パチンコ店も閉店し、公共喫煙エリアとなり、人が来たがらなくなった。古川理沙園長は、保育園を開設する前、子どもたちと一緒にごみ拾いと花植えを行い、人が寄り付かなかった場所を、清潔で美しい場所に変えた。古川園長が目標とする理想は、5年後、10年後、さらには20年後に、成長した子どもたちがこの場所に戻ってきたとき、静かで美しい空間を楽しんだり、あるいは店を継いだりして、ともに一つの好循環を作ることである。古川園長のこだわりのもとで、学校と家庭、社会教育が補い合い、家庭と社会教育の機能が弱まっているという問題に直面する昨今であるとはいえ、そらのまちほいくえんが開設されているコミュニティでは、互いが密に連携し、隣人がともに子どもたちの世話をする昔ながらの教育方法に回帰してもいる。
菖蒲學園所提出的價值--「活出率真,本來的你就很好」,讓我們反思:正常是什麼?讓身障者融入正常社會,或以身障者的角度來看社會?菖蒲學園的模式,讓我們跳脫了之前以狹隘的規範來看二元對立: 正常vs.不正常,社會化vs.非社會化,取而代之的是互相支持、創造、互相聯繫。近年來IoT、AI等科技快速發展,也因此凸顯了人性發展的重要性,我們更該思考並從身障者身上學習到原本人類即擁有心靈的能力,加強學園和社區的接觸,使社會人士也能認識其居住的地方,並進而打造依其生活形態也能獨力生活的方式,這是菖蒲學園的理想,也是我們該認同的方式。
しょうぶ学園が示す価値--「その人がその人らしく生きる、ありのままの自分でいい」--は、正常とは何か、障がい者身を正常な社会に溶けこませるとはどういうことか、障がい者の視点から見た社会とはどのようなものかという点について私たちにあらためて考えさせる。しょうぶ学園のモデルは、正常と不正常、社会化と非社会化という、かつての狭い規範から見た二項対立から離れさせてくれる。これに代わるものは、支え合うこと、創造、互いのつながりである。近年、IoTやAIなどのテクノロジーが急速に発達し、人間性の発達の重要性がとりわけ注目されるようにもなった。私たちはより思考を働かせるとともに、障がい者からもともと人間が持っている心的な能力についてより学ぶべきである。また、学園とコミュニティのつながりを強めることで、社会の人びとにも居住地域について認識してもらい、さらにはその生活形態に合わせて自力で暮らす方法を打ち出すことができる。こうしたことはしょうぶ学園の理想であり、私たちが賛同すべき方法でもある。
20年來日本全國有300-600間學校廢校,坂口修一郎將森之學校廢校活用,透過音樂活動的舉辦,以最初一個人覺得舒服、有趣的方式來擴展到其他人,有共感的人可以聚在一起,好的舒適空間也因此產生。當人們增加了對森之學校的記憶,參與的孩童們也可將對學校的記億延續到22世紀。
ここ20年ほどの間に、日本では全国で300~600校が廃校となっている。坂口修一郎のリバーバンク森の学校は廃校を活用したものだ。音楽イベントの開催を通じて、まずだれかが快適さと楽しさを感じ、それを他の人にも広げていくことにより、共感する人が集まれるようにし、楽しく快適な空間はこうして生まれた。人々は、森の学校に対する記憶を増やし、参加した子どもたちも学校に対する記憶を22世紀へと引き継いでいく。
全日本有超過400個有人居住的島,其中,甑島位於鹿兒島的西邊,由三個小島嶼組成,居民計1777人,但據推測2060年將只剩769人,所以重要的議題是;下一代在這個島上要打造什麼樣的生活?
山下賢太社長成立鹿兒島甑島本社,當初回來的原因是:最喜歡的兒時風景消失了! 因為記憶沒辦法保護,所以一定要做些什麼! 於是,他開著麵包車到不同的聚落,也經營網路商店,將商品販售至全國,他還同時種稻,並投入空屋改造等活動。原本只是想開個公司餬口的賢太社長,如今卻是在做著關乎整個聚落的事。他所打造的實體商店--山下商店,在周五到周六時分成為晚上的酒館,讓年輕人有去處。他也到處兜售豆腐,一刀一刀的豆腐親手交給客戶,還幫忙換燈泡,山下商店的建置不是為了營造觀光地,而是孕育一個大家願意來的地方。他所開發的民宿原本只是提給釣魚客,後來是為了品味小島的日常,民宿中提供現做的豆腐及魚的料理,還提供各種體驗活動,預約進行,例如豆腐製作參觀體驗,最近的人氣體驗行程是黃昏啤酒小旅行,而晚上居民則可免費參加的BBQ活動,讓遊客和漁民有一個共同聊天的場合。以甑島生活的意象來經營民宿,希望遊客能長期住宿,以旅宿做為起點,本質精神是在保存甑島的最原始生活,以觀光來支持島民想要的生活,而不是為了觀光客而提供的觀光生活,雖然島上人口仍在減少,但認識島的人增加了。透過有趣的方式讓面臨的課題消逝,正確的作法很重要,甑島本社提供了一個很好的示範。
日本には400を超える有人離島があり、このうち、甑島は鹿児島県の西端に位置し、3つの小島で構成されている。住民は計1777人だが、2060年には769人になると予測されている。このため、重要な課題となっているのが、次世代がこの島でどのような生活を営んでいくかという点である。
社長の山下賢太氏は鹿児島県の甑島に「東シナ海の小さな島ブランド株式会社」を発足させた。当初、山下氏がUターンした理由は、一番好きだった子どものころの風景が消えてしまったということである。記憶は守ることはできない。それならば、何かをやらなければならない。そこで、山下氏はミニバンを運転してさまざまな集落を回り、また、ネットショップも経営した。商品を全国に向けて販売し、それと同時に、稲を植え、また、空き家の改修などを手掛けた。もともとは、食べていければという思いで会社を作っただけだった賢太社長は、今では、集落全体にかかわることをやっている。賢太社長が開いた実店舗--山下商店は、金土の夜にはバルとなり、若者がやってくる場所になっている。彼は至る所へ豆腐を売り歩き、豆腐を一丁ずつ手渡しで客に販売したり、電球の交換を手伝うことさえある。山下商店は観光地づくりのためではなく、皆が行きたいと思う場所を育てるための店なのだ。彼の民宿は当初は釣り客向けだったが、その後、小さな島の日常を楽しむためのものとなった。豆腐や魚料理をその場でつくって客に出すほか、予約制でさまざまな体験型アクティビティを用意している。豆腐づくりの見学体験などがあるが、最近人気の体験プログラムは夕焼けビールツアーである。夜は、住民なら無料で参加できるBBQを行い、行楽客と漁業者が一緒に話をすることができる場となっている。甑島での生活をイメージした民宿経営を行い、行楽客には長期滞在してもらいたいと望んでいる。基本的なポリシーは、宿泊を起点として、甑島の本来的な暮らしを守るというものである。観光によって島民が望む暮らしを保つことであり、観光客のために観光のような暮らしを提供することではない。島の人口はなお減少しているが、島のことを知る人は増加している。直面する課題に対して興味深い方法でその解消を図る。当を得たやり方が非常に重要であり、「小さな島ブランド株式会社」はひとつとの非常に優れた手本となっている。
在鹿兒島製作丸干的工廠約有10間左右,而下園薩男商店以較高的價錢向漁民購買高品質的魚來製作丸乾,在這個產業中成為佼佼者。但成功的因素不僅於此,第三代社長下園正博離開了原本在東京IT公司與水產商社的工作,回到家鄉接手家族企業,他有感於吃丸干小魚的人愈來愈少,大約30-40年就會消失,因此他設計開發了旅行的丸干,此商品的故事是希望丸干可在世界旅行,藉著在不同的選物店販售,而讓更多不認識這個產品的人產生興趣。下園正博社長的企業理念是:為您已經擁有的東西增添一點手續,使其成為讓人生(生活)誇讚的禮物。換言之,下園薩男商店成功的原因是: 運用當地土地的特色與人的傳統來經營以及進行開發,因為對於自己的故鄉有熱愛,再加上不停開發的創意理念,同時,融入對於每個參與者的重視,這才是會成功的關鍵。
鹿児島で丸干しを製造する工場は10軒ほどある。このなかで、下園薩男商店は比較的高価格で漁民から高品質の魚を仕入れて丸干しを製造しており、この業種において突出して優れた業者となった。ただ、成功の要因はこれだけではない。3代目の下園正博社長は郷里を離れた後、東京のIT企業と水産商社に勤務していたが、出身地に戻り実家の会社を継いだ。丸干しの小魚を食べる人が徐々に減り、30~40年で消滅すると感じたため、「旅する丸干し」をデザイン・開発した。このアイテムのストーリーとは、丸干しが世界を旅しながら、さまざまなセレクトショップで取り扱われ、この商品を知らなかった人が興味を持つようになるというものである。下園正博社長の企業理念は「今ある『コト』に一手間加え、それを誇り楽しみ人生を豊かにする」 というものである。つまり、下園薩男商店が成功した理由は、その土地の特色と人の伝統によって経営や開発を進めたところにある。自らの故郷に愛着を持ち、そこに、開発を続けるというイノベーションの理念を加えるとともに、参画者それぞれが重視する点を取り込んだこと、これが成功したカギである。
天草市一百多年來都以班節蝦養殖為在地產業,但遇到產業價格下降,不管如何販售,獲利仍呈現赤字。過往非常依賴市場,而身為生產者卻無法決定市場價格,因此導致無法繼續生產下去的窘況,若這個現象不改變,天草的養殖業也無以為繼。而在AI快速發展的現代,人類該如何自處?過去只要努力工作就能成功,未來卻未必如此,因此,存在的意義是什麼?深川沙央里女士決定活用當地土地與味道來進行商品開發,希望因此贏得世界上更多人的正面評價,與更多的人來從業。
她在2013年成立CWP公司,為了打造安心生存的方式,開創了網路的販售。出身於捕撈沙丁魚、鯖魚的火誘網漁業家族,深川女士15歲時,即隨著捕撈漁獲的逐漸減少,而跟著家人一起從捕撈轉型到養殖比目魚、真鯛。2009年她與同樣有著100年養殖草蝦歷史家族的長男結婚,但是卻碰到雷曼兄弟事件,草蝦價格爆跌,前兩年又值疫情,深川女士並沒有因此而放棄,反而利用空閒撰寫出版了一本書:「2男3女單親媽媽的社長」,成為水產女子的先驅。
天草市は100年来、クルマエビ養殖を地場産業としてきた。しかし、価格の下落により、どのように販売しても赤字になってしまった。かつて、マーケットに過度に依存し、生産者の立場では市場価格を決定することができなかったため、生産を継続できないという困難な状況に陥った。この状況が変わらなければ、天草の養殖業も継続不可能となる。一方、AIが急速に発展する現代、人はいかにして自分のことを処していくべきなのか。かつては努力しさえすれば成功することができたが、この先は必ずしもそうとはいえない。では、存在意義はどこにあるのか。深川沙央里氏は、地元の土地と味を活用して商品開発を行うことを決めた。世界のより多くの人からポジティブな評価を得て、より多くの人がこの仕事に就くことを願ったのである。
2013年、株式会社クリエーションWEB PLANNING(CWP)を発足させ、安心して存続できる方法を成り立たせるため、ネット販売を開始した。深川氏は、イワシやサバの漁り火漁をしてきた漁業一家に生まれたが、15歳の時、捕る漁業が次第に減少するのにともない、家族とともにヒラメとマダイの養殖を始めた。2009年、彼女は、同じように100年の歴史を持つクルマエビ養殖の漁家の長男と結婚したが、リーマンショックでクルマエビ価格は暴落した。直近の2年間は新型コロナに直面したが、深川氏はそれで諦めることはなく、むしろそれでできた時間を利用して「2男3女のシンママ社長 水産女子の先駆けとなる」という本を書き、女性漁家のパイオニアとなった。
天草水產業的挑戰是勞動者不足及受限的通路。養殖業過往均以男性為主要勞動者,女性很難從業,另一方面,能行銷的方式也非常受限。深川女士成立公司後,將原本男性為主力的工作,轉化成女性也可投入,例如:讓工作器具小型化,並推動IT在養殖池的活用,如此可以遠端觀測蝦子生活狀況,而避免潛水觀測。另一方面,則活用網路銷售及品牌化,也跟廚師合作,進行商品的開發。CWP的三大目標是: 將女性加入水產業,讓養殖產業更有元氣; 育子期間仍能工作的環境; 活用女性視角來進行商品設計。這些目標在在令人感動!
天草の水産業がかかえる課題は労働力不足と、限られたチャネルである。かつての養殖業は男性が働き手の中心で、女性は働きにくかった。一方で、マーケティング方法も非常に限られていた。深川氏は会社設立後、仕事に使う道具を小型化したり、養殖池におけるIT活用を推進し、エビの生育状況を遠隔でモニタリングすることにより潜水によるモニタリングをしなくてもいいようにしたりと、男性中心だった仕事に女性が入りやすいように改めた。他方で、ネット販売やブランド化にも取り組むほか、料理人とコラボして商品開発も進めている。CWPの三大目標は(1)女性が水産業に参加し、養殖業をもっと元気にする(2)子育てしながらでも働ける環境(3)女性の目線を活かした商品デザイン―というものである。こうした目標に、非常に感動させられた。
打造共同「美」好的未來
「美」しい未来をともに作る
在見識到了「真」心後,此行更令人感佩的是,來自於對於社會關懷的「真」心,不僅化為「善」行,同時更盼望打造「美」好的未來。明治維新後對日本後代留下的創新思維模式,不斷提出因應未來的試驗方案,我們看到更多元的社會價值與可能性。SELF Satsuma Emerging Leadership Forum構想聚集許多利害關係人,創造溝通的場域。這些對話溝通,跳脫了經濟、生態、社會單一層面的思考,更喚起我們跨域整合地去思考: 150年後我們要留下什麼呢?
以黑川溫泉4000人的小鎮企圖發展出農業、林業、畜牧業和溫泉旅館業的共好的願景為例,為了要達到SDGs的目標,小鎮提出堆肥及赤牛計畫,以「環境保育價值」創造黑川溫泉的品牌。同時,建立黑川塾與大學端共同培育下一代的接班人。
過往日本離島分屬不同政權,有不同的主體意識,且國家對於海洋的補助非常多,卻反而成為自立自強的阻礙。鹿兒島離島文化經濟圈希望打破提供資源和被支援的分界,透過海洋意象來連結大家。山下賢太每一年都會到不同的小島上進行田野調查,此舉實是面向未來所做的田野調查,地方年青人想要什麼未來? 因此是沒有答案的過程。不是等待資源,而是尋找夥伴一起向前的夥伴,透過彼此的認識,尋找合作的機會。將離島的名產帶回本島販售,不只商品開發,而是一起合作成立公司,來共同面臨水產品物流問題,解決原有行銷物流問題。同時,支持離島產業的學校、企業加入這個平台。常常會聽到沒有人、技術、資源,我們必需努力打造一個無法說沒有什麼而無法前進的平台,讓下一代有人才、技術、資源的未來,進而打造我們共同想要的未來。
「真」の心を理解した後、今回の視察でより感服させられたのは、社会を大切に思う「真」の心を、「善」行に転化するだけでなく、「美」しい未来を築こうとしている点である。明治維新後、日本の子孫が受け継いだ革新的な思考モデルは、常に未来に向けた実験的なソリューションを提示しており、私たちはここに、より多様な社会的価値や可能性を見出した。薩摩リーダーシップフォーラム(SELF)構想には、数多くのステークホルダーが参集し、コミュニケーションの場を創出している。このような対話や、コミュニケーションは、経済的、生態学的、社会的な側面を超えて、学際的、統合的な思考を喚起する。150年後に、私たちは何を残したいのだろうか。
人口4000人の小さな町黒川温泉を例とすると、農業、林業、畜産業や温泉旅館業がともに発展するというビジョンでは、SDGsの目標達成のため、堆肥化と「あか牛」のプロジェクトを提案。「環境保全の価値」を軸に黒川温泉のブランドづくりを進めている。また、黒川塾と大学側が共同で次世代の担い手育成に取り組んでいる。
昔、日本の離島は日本ではない支配下に属していたことがあり、一方、国家は非常に多くの海洋関連補助を用意してきた。これがかえって自立・自律を阻害してきた。鹿児島の離島文化経済圏は、リソースを提供する側と支援を受ける側の境界を壊し、海洋のイメージを通じて全体を結びつけたいと考えている。山下氏は毎年、さまざまな小さな島でフィールド調査を行っているが、これはつまり、将来に向けた、地域の若者たちがどのような将来を望んでいるのか、というフィールド調査である。このため、これは答えのないプロセスである。リソースを待つのではなく、一緒に前を向く仲間を探し、互いが知っていることを通じて、コラボレーションの機会を探す。離島の名産を本土に環流させて売り込むのは、商品開発ということだけではなく、ともに会社を立ち上げることで、水産物流通の問題にともに対応し、従前からあるマーケティング物流の問題を解決する。また、離島の産業を支援する産学もまた、こののプラットフォームに参加している。マンパワー、技術、リソースがないとよく耳にするが、私たちがやらなければならないのは、何かがないから前進することができないとは言えないプラットフォームを構築し、次の世代に人材や技術、リソースのある未来を用意し、さらに、私たちが共に希求する未来を作り出すことである。
大學社會責任的反思
大学の社会的責任を再考する
日本民間橫向與縱向組織發展的規劃能力,和人際連結的動員能力(self、 薩摩會議、島嶼聯盟、jamboree 、be good neighbor)讓明治維新2.0延續著既在地又普世的價值,明治維新1.0是民主、科學技術和市場經濟的改革,而明治維新2.0則是從日本里山里海橋接到聯合國永續發展的各項目標。不是單向輸入國外價值,而是在地價值可以成為普世價值(引述自陳東升,2023)。而大學身為社會的一份子,不僅扮演知識創新的智庫角色,更需要透過實際社會實踐,走出學術象牙塔的藩籬,重新連結與建構我們對社會的認知,並思索在高科技快速發展下之珍貴人性的價值。透過不斷反思我們想要的未來,共同與民間社會的力量培育真正有利於社會發展與具有普世價值的下一代。
日本の民間セクターが縦横に組織を発展させるプロジェクト執行能力と、人と人とを結び付けて動かす能力(SELF、薩摩会議、しましまネット、グッドネイバーズ・ジャンボリー)は、明治維新がローカルで普遍的な価値を再度バージョンアップさせた「明治維新2.0」である。明治維新を最初にバージョンアップさせた「明治維新1.0」は民主主義と、科学技術と市場経済の改革であり、「明治維新2.0」は、日本の里山や里海から国連が提唱する持続可能な開発目標の各項目に向けて橋を架けたものである。国外の価値を一方的に持ち込むのではなく、ローカルな価値が普遍的な価値になりうるということである(陳東升:2023)。そして、大学は社会の一員として、知識イノベーションのためのシンクタンクの役割を果たすだけでなく、実社会での実践を通して、アカデミックな象牙の塔から一歩踏み出し、社会に対する認識をあらためて再構築し、ハイテクノロジーが急速に発展するなかで人間性という貴重な価値について思索を深めなければならない。私たちはどのような未来を臨んでいるのかと考え続けることを通じて、民間セクターにある社会的な力とともに、本当の意味で社会の発展にとって有意で、普遍的な価値を備えた次の世代を育成するのである。